熱海が「イケてない街」から脱せた本当の意味

これは日本のどの地方にも応用できる事例だ

市来氏は高校時代に物理の世界にのめり込み、将来は物理学者になりたいという思いを抱いて、卒業後は東京都立大学(現首都大学東京)に進学。しかし熱海には愛着があったため、1年生のうちは熱海から新幹線通学していた。

そんななかで気づいたのは、熱海という名前を誰もが知っているという事実。何県にあるかは知らない人でも、熱海の名前は知っているということがうれしく、それが、自身のアイデンティティの一部としての熱海を意識するきっかけになったというのだ。

ところが、新幹線通勤は不便だという理由で2年生からは大学の近くに下宿したという市来氏は、帰省の際に衝撃的なニュースを聞かされることになる。

私が生まれてこの方、20年間暮らしてきた熱海の保養所が閉鎖になるというのです。所有者である銀行が、バブル崩壊後の長い不況に苦しみ、合理化のために閉鎖を決定したからです。
実は、こうなる予兆はありました。
桃山エリアは目に見えて衰退していて、近隣の保養所では閉鎖が相次いでいたからです。(中略)
両親は横浜市日吉にある社員寮の管理をすることになり、一家でそこへと移ることになりました。こうして、私は生まれ育った熱海に自分の家がなくなってしまったのです。両親は銀行に雇われているサラリーマンですから、会社に命じられるまま、熱海の保養所から転勤し、日吉の別の施設へ移りました。(29~30ページより)

市来氏は大学の物理学科を卒業後、大学院へ進学。しかしそのころには物理学者になりたいという気持ちは薄れ、もっとダイレクトに社会に関わりたいと思うようになる。そこで修了後は、IBMビジネスコンサルティングサービス(現・日本IBM)に入社する。

「熱海の再生」

そんななか、地元の友人の自殺なども影響し、次第に強くなっていったのは「人生は、遅かれ早かれ必ずいつか終わる。それなら、思い切りやりたいことをやろう」という思い。いうまでもなく、それは「熱海の再生」だった。

衰退してしまった熱海をなんとかしたい。
熱海で生まれ育った私は、熱海を離れてからもそう考え続けていました。そして、熱海の再生に力を尽くしたいと思いながら成人しましたし、ずっと「熱海再生」のことが頭を離れることはありませんでした。(38ページより)

結果、実績を積んだのちにIBMを辞めた市来氏は、2007年に熱海へUターンし、ゼロの状態から地域づくりに取り組み始めることになる。熱海市観光協会、熱海市との協働により、遊休農地再生のための活動「チーム里庭」、地域資源を活用した体験交流プログラムを集めた「熱海温泉玉手箱(オンたま)」をスタートさせ、プロデュースも手がけたのだ。

さらに2011年には民間まちづくり会社「machimori」を設立し、翌年にはカフェ「CAFE RoCA」を、2015年にはゲストハウス「guest house MARUYA」をオープンさせ、運営に携わる。

次ページ「熱海がたまたま実現できたこと」の羅列ではない
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