歴史に学ぶ「米中貿易摩擦」の行きつくところ 85年前の「米中"銀"対立」を知っていますか
シルバー・メンは、①各国に働きかけて銀需要の喚起と供給の制限を図る、②銀価格を引き上げて、銀を通貨として使用している中国等の購買力を引き上げ(つまり、ドル安元高に誘導する)、米国の輸出を増やす、③銀を通貨発行準備の一部とすることで貨幣供給量を拡大する、などの主張を行った。
シルバー・メンの声を聞かざるをえないフランクリン・ルーズベルト大統領は銀買い上げ法の施行(1934年)等いくつかの銀価格引き上げ政策を採用し、その結果銀価格は高騰し1オンス70セントをも超えるに至った。
つまりは、国際経済関係のなかで苦境に陥っている国内産業の声を聞き、自国を最優先して他国を犠牲にする典型的なアメリカ・ファースト政策だ。
米国の銀価格引き上げ政策で中国は恐慌になった
当時の中国の状況をみると、銀本位制度を採用する中国は、世界恐慌のときには銀価格下落のおかげで自国通貨である元が銀価格に並行して下落し、元安が世界恐慌という大火事に対する防火壁となり、中国は延焼を免れた。
ところが米国の銀価格引き上げ政策が始まると状況が一変する。銀を米国にもっていけば高値で買い取ってもらえるのだから大量の銀が中国から米国へ流出。中国国内の銀流通総量の3分の1にもなる銀が国外に出た。中国の貨幣供給量は一気に収縮し、中国経済は深刻なデフレーションに陥って株価は暴落、小銀行や工場、商店が相次いで閉鎖に追い込まれた。銀恐慌に陥ったのだ。
中国はどう対処したか。中華民国政府は応急的、一時しのぎ的な対処ではなく、大胆で根源的な策を採った。1935年11月、約500年続いた銀本位制度を捨て去る幣制改革を断行したのだ。これにより、もはや米国の勝手な政策により中国経済が翻弄されることがなくなった。
一連の出来事を通じて、各国の経済にどのような影響があったのか。主には次の点を挙げることができる。
まず米国については、銀業界は結局損をした。中国を銀本位制からの離脱に追い込んだがために、もはや地球上に銀を通貨として使う者はほとんどいなくなった。銀に対する需要は大いに減退し、銀価格は数カ月のうちに1オンス当たり20セント程度も下落した。
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