「日本に眠る財宝」はどこに総額いくらあるか 「1000兆円」の説も。あなたの自宅下にも?
フランスの貨物船「ニール号」と、米国の軍艦「オネイダ号」は期待できます。
ニール号は1874(明治7)年3月、ウィーン万博に日本から出品されていた多くの文化財や美術品等を積んでの帰途、伊豆半島沖で嵐に遭って沈没しました。
積み荷の中には、源頼朝が後白河法皇から賜り、北条政子が愛用していたという小道具入れ「沃懸地(いかけじ)籬菊(まがきにきく)螺鈿蒔絵(らでんまきえ)手箱」など、貴重な文化財も含まれていました。
沈没の翌年、陶磁器や漆器など積み荷の一部は引き揚げられましたが、北条政子の手箱を含む多くの積み荷は、まだ海底に沈んだままになっています。
オネイダ号は1870(明治3)年1月、日本政府からの武器売却代金40万ドル(当時)を積み、横浜から帰国の途についた矢先に、浦賀水道沖でイギリスの貨物船ボンベイ号と衝突し、大破して沈没しました。
これらは、もともと真偽が定かではない伝説などとは違い、お宝が眠る正確な地点やその品目などの詳細な内容が、「公式な記録」としてはっきりと認められています。こうしたケースについては、今後の調査次第では、十分に発見が期待できるでしょう。
莫大なお宝が「あなたの自宅の敷地内」にも?
ところで、こうした伝説とは別に、「埋蔵された金銭」は実はこれまでに数多く「発見」されています。
たとえば、1963(昭和38)年には東京都中央区の日清製油本社ビルの改築工事現場で「小判1900枚と二朱金7万8389枚」が見つかっています。
さらに、1968(昭和43)年には北海道函館市の道路工事現場から「38万7514枚の古銭」が出土しました。先述の「勝沼氏の軍資金」もこれにあたるものでしょう。
最近では、2017年に埼玉県蓮田市で「最大推定26万枚の古銭」が入った甕が見つかるなど、昭和以降、現在に至るまで、公となった例だけで「約50件」が報告されています。
かつては、貨幣は「重量物」のため、それに耐えうる強度があり、かつ安全上最適な保管場所として、しばしば「地下」が活用されていました。もしかしたら、みなさんの自宅の敷地内にも、「お宝」が埋もれているかもしれません。
歴史には、知れば知るほど、こうした「ロマン」がいくつも隠されています。歴史を学ぶことは、「教養」を高めると同時に、それ自体が「知的な楽しみ」でもあります。
ぜひ、歴史を学び直すことで、学生時代には味わいきれなかった「大人の知的な楽しみ」を実感してください。
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