貧困の子を救う「子ども食堂」が抱える課題 安心・安全な場所にするために必要なこと
堀:僕も大学で授業をしているのですが、毎年学生たちには「子どもの貧困について啓発する動画を作る」というのを課題にしています。「みんなは日々の日常に不満はあるかもしれないけど、こうやって大学に通えているというのは余力があるほうだね。余力があるほうのみんなが何をやるかというのはけっこう大事なんじゃないか」という話をすると、学生たちは一生懸命聞いてやってくれます。でも、いまいち「貧困」というイメージがない。ところが、調べていくうちに「あ、これ私のことです。私、奨学金を払うために家賃を節約して実家にいるのですが、週3日間は大学の授業が朝早いから、友達の家を泊まり歩いて大学に通っているんです」という子も。また、「私の友達は遊びに行くときに必ず自転車なんです。『電車で来ればいいのに』と言ったら、『自転車で途中まで頑張ってから電車に乗る』と。今までは『自転車が好きな子だね』とみんなで言っていたのですが、よくよく聞いてみたらおカネがないんだということがわかりました。これって貧困なんですね」と話す学生もいました。そういう「気づき」が次の扉を開くのだなと改めて感じました。
湯浅:幸いにして「子どもの貧困問題など日本にはないんだ」という人はあまりいなくなりました。状況が深刻だということの裏返しでもあるので、喜ばしいことばかりとも言えないのですが。でも、多くの人がその問題を知るに至って、「何か自分にできることはないか」考えたり、あるいは「すごく遠い話だと思っていたけれど、実は自分の身近にもあるんだな」と気づいたりということがあります。私が大学で教えていても、「子どもの貧困の問題に関心があります」という学生がごく普通にいるという世の中になりました。10年前だったら考えられなかった。そういう意味では世の中変わったなと思います。
堀:まさに、二方向ありますね。社会的に啓蒙が効いて子どもの貧困に対する認知度が上がった一方で、この10、20年の間で格差も開き貧困が日常の当たり前のものになってしまっているというのも問題ですね。何がそうさせているのでしょうか。
湯浅:世の中の社会状況ですよね。特に日本が弱いのは、「家族支援」の領域と、「所得再分配」の領域。ここが弱いので、たとえばシングルマザーのお母さんは、どれだけ働いてもなかなか貧困から抜けられないという状況になっています。そこに大きな問題があるのは間違いないと同時に、先ほどの女子高校生が100万円もらったらすべての問題が解決するかと言うと多分そうではない。彼女が「鍋をみんなでつつくという体験が、本当にみんなにとっては普通のことなんだ」と気づくのは、おカネの問題ではありません。おカネの問題と、おカネ以外の問題と、その両方を同時にやっていく必要があるのだろうと思いますね。
「市民、地域、社会の理解」が、問題解決への近道
堀:湯浅さんご自身は2009年に内閣参与に就任されたご経験もあり、公が担う部分の舞台裏についてはよくご存じかと思います。公は何をやるべきで、一方で、公が抱えるジレンマは何なのか。当時と今、そこに変化はあったのか。その点についてはいかがでしょうか。
湯浅:私は、最後は民主主義の問題だと思っています。たとえば、今やっている保険の問題もそうですが、こども食堂に対する市民の理解、地域の理解、社会の理解を広げていけば、その人たちが1票を持っているので、政治家もそれを無視できなくなる。市民、地域、社会の理解を抜きに、政治家へのロビー活動だけで問題解決しようとすると足をすくわれるんですよね。というのは、その政治家が地元に帰ったときに、有権者に「なんでそんなことをやっているんだ」と言われるからです。日本は国民主権の国ですから、最後は私たちが主権を持っています。私たちが最終決定権者なので、私たちがこうした問題に対しての理解を市民レベル、地域レベル、社会レベルで広げていくことが、確かに迂遠に見えるけれども本当は近道なのではないかと思います。そこを省略すると、一時的にうまくいっても、ちょっとした流れが変わっただけでごっそり足をすくわれるようなことが起こります。地道だし迂遠に見えるかもしれませんが、それが民主主義というものだと私は思っているので、そこからやっていきたいと思っています。