「紀州のドン・ファン」過剰な報道への違和感 謎解き重視、刑事ドラマ化するワイドショー

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今回の真相はわかりませんが、現時点で明らかなのは、「すでに妻と家政婦が社会的に葬られそうな状態」にまで追い詰められていること。決して擁護する気持ちはありませんが、まだ逮捕されているわけでもない人の過去やプライバシーをさらし、結末を誘導するようなメディアのストーリーテリングには無責任さを感じてしまうのです。

この無責任さの一因として考えられるのは、週刊誌に頼りがちな制作スタンス。近年のワイドショーは、週刊誌の報道に専門家やコメンテーターの見解を加える形の構成がすっかり定着してしまい、当事者を直撃すること以外の独自取材は、あまり見られません。もともと強烈な切り口と見出しの多い週刊誌報道をベースにしている以上、ワイドショーの内容が過激なものになるのも自然なことなのです。

また、過激になればなるほど飛び交いがちなのは、故人に対する敬意を欠いたコメント。今回の事件でも、「女癖の悪い男性だからこうなってしまうこともある」「(愛犬へのこだわりや家の外装が)僕には理解できない」と一笑するコメンテーターがいました。これらは報道の自由や事件の公共性とは別次元の主観にすぎず、死人に鞭打つような悪意の自覚なきコメントには首をかしげてしまいます。

日大の騒動は「勧善懲悪ドラマ」風の演出

最後に話を少し広げると、いまだ収まらない日大の騒動に関するワイドショーの報じ方にも似た現象が見られます。

選手、監督・コーチ、学長、理事長と、次々に悪役を登場させ、一人一人成敗していくような展開は、まるで勧善懲悪のドラマ。事実、最初に行われた選手の謝罪会見では、ワイドショーのリポーターたちが、怒りや憎しみを引き出すような質問を繰り返して、巨悪をあぶり出そうとしていました。その質問内容はジャーナリズムというより、ドラマ演出のようだったのです。

2013年に社会現象となった「半沢直樹」(TBS系)の大ヒット以降、勧善懲悪ドラマが量産され続けていますが、それがワイドショーの演出にも波及しているということではないでしょうか。勧善懲悪ドラマで、真っ先に思い浮かぶのは時代劇。かつて「水戸黄門」などが再放送されていた時間帯に放送しているワイドショーは、時代劇の代替品となっているのかもしれません。

刑事ドラマにしろ、勧善懲悪ドラマにしろ、ワイドショーが文字通りドラマティックな演出で視聴者を引きつけようとしているのは間違いないでしょう。懸命なビジネスパーソンのみなさんは、「これを信じていいのか」「ミスリードかもしれない」という視点を持つことをおすすめします。

木村 隆志 コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者

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きむら たかし / Takashi Kimura

テレビ、ドラマ、タレントを専門テーマに、メディア出演やコラム執筆を重ねるほか、取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーとしても活動。さらに、独自のコミュニケーション理論をベースにした人間関係コンサルタントとして、1万人超の対人相談に乗っている。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』(TAC出版)など。

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