81歳社長が率いるMマートの次なる事業構想 村橋孝嶺社長にビジネスモデルを聞く
村橋:ところが、見ようと思っても会費を払わないと見られないわけです。スーパーに喩えるなら、入るだけで入場料を払わなければいけないということですね。違和感を持ちましたが、入場料を支払ってサイトの中を見てみると、これは中小企業が使えるものじゃないと即座にわかりました。使い勝手が悪いのです。会員制のクローズマーケットで卸をやってもだめだと思いました。
ネットの本質を信じ、オープンな卸売マーケットを構築
小林:そこでオープンなインターネットマーケットプレイスを思いついたわけですね。しかし、それまでは馴染みがなかった技術なのに、起業まで考えるというのはすごい話ですね。
村橋:私は本をよく読みますので、これからはインターネットの時代だとわかっていました。なので、このインターネットを用いて、肉も魚もあらゆるものを包括した卸売りサイトを自分で作ろうと思い立ちました。飲食業ベテランの私でさえこんなに仕入れに困っているということは、若い人たちも絶対困っているはずです。だから、自分でサイトを作れば飲食業の人々全体の助けになるのではないかという軽い気持ちでした(笑)。
1999年12月に決心して、翌2000年2月25日に会社を作りオープンしました。ネットの初心者ですから、渋谷の会社に電話してホームページを作れる人を寄越してくれないかと頼みました。そうしたら、その会社の専務がやって来て、私がやりたいことを説明すると「わかりました。作りましょう」となりました。
ところが翌日以降、その会社へ電話してもつながらなくなってしまったんです。どうしたのかと不安になっていると、10日ほど経った頃にその専務がやってきて「すみません、倒産しました」と言うのです。ちょうどITバブルが崩壊する時期でした。
小林:なんと……。確かにそういう時期でしたね。
村橋:「これは大変だ。この業界はこういうことがあるんだ。わからないなりに自分たちでやらないといけない」。そう思って、息子に「作れ」と言ったのですが「できません」という返事が返ってきました。
「いや、できないことはないだろ。誰かが作っているんだから。本を買ってきて作れ」と言いました(笑)。そんなこんなで、まずはHTMLで作り始めたのですが、買い物カゴなんて難しいものは作れませんから、写真と商品説明、売り手の住所などの買い手が知りたい情報を、全部オープンにしたサイトにしました。
それを見た同業者からは「あいつはバカだ」と言われましたが、インターネットの本質は情報の対称化だと思っていました。あらゆる情報をさらけだして情報の非対称性を解消しなければ意味がないと考えたのです。そうやってとにかく情報をオープンにするところから始めたんですが、如何せん買い物カゴがなく商品情報しかないわけです。「欲しい方は売り手のところに電話かFAXしてください」と(笑)。
小林:なるほど(笑)。アクションは手動ではあったものの、情報を集めて、無料で公開することにこだわったのですね。
村橋:そうです。私の飲食店に出入りしている卸屋さんに声をかけて3ヶ月ほどで20数軒の情報をホームページに掲載しました。そこから2~3ヶ月経った頃に、肉屋の社長が顔色を変えて私のところに来て「大変です!」と言う。何があったのか聞くと、「日本全国から注文が殺到して捌き切れません!FAXが止まらない」と言うんです。その時、すごいニーズがあるんだなと確信しました。
小林:なんと、初期の頃から全国で反響があったのですね。
村橋:そうなんですよ。当時はインターネットを見ている人は多くなかったはずなんですけどね。買い手のためのサイトを作ることと、高品質で安いものを掲載することを絶対の原則にしました。買い物カゴはないけど、値段がいつも仕入れているところより安いわけです。飲食業界は年間数%の利益を得ようとしのぎを削っている業界ですから、仕入れ段階で15%安いとなったら飛びつきますよね。それでFAXが殺到したわけです。