インド・ヨーロッパ語族は、どう拡散したのか ステップを駆けたライダーたち

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先に見たように、印欧祖語の話し手はすでに車輪付きの乗り物を使用していたと考えられる。それに加えて、印欧祖語の原郷たるステップでは、馬の家畜化と騎乗がいち早く始まっていたと著者は考える(後述も参照)。「彼ら[印欧祖語の話し手たち]は近隣の民にくらべてなんら優れていたわけではない」。しかし、「彼らは輸送手段の技術革新がもたらした恩恵をこうむれる場所にいた」のだ。

騎乗と車輪付き乗り物がさまざまな恩恵をもたらしたことは、想像に難くないだろう。たとえば誰もが思いつくように、馬に乗れることは他部族との抗争において大きな利点となったはずだ。だがそれだけでなく、馬があれば牧畜民は大きな群れを放牧することができただろうし、あるいは、遠く離れた場所を短時間で偵察することもできただろう。また四輪荷車があれば、必需品をそれに載せることで人々の移動距離は伸長し、ステップの奥地へ進出することも可能となったにちがいない。そのようにして、インド・ヨーロッパ諸語の話し手が拡大していくにあたって、馬と車輪はことさら重要な役割を果たしたと考えられるのである。

以上、ポイントを3つに絞って、問題の拡散過程に関する著者の議論を見てきた。かつてひとつのステップで話されていたその言語は、かくして、形を変えながら広い地域へ拡散していったというわけだ。

壮大なストーリーと緻密な論拠

というのが、本書の議論の大まかな流れである。ただ本書では、上記のもの以外にも興味深い問題がいくつも論じられている。たとえばそのひとつが、馬の家畜化と騎乗の起源に関する問題だろう。「印欧祖語の話し手たちはすでに馬に乗っていた」という自説を補うため、著者はその問題にじつにユニークかつ鮮やかな方法で光を当てている。なお、その問題を論じた第10章こそが、本書のなかで最もエキサイティングなもうひとつの箇所ではないかと思う。ぜひ当該箇所に当たって、その問題と著者のアプローチをチェックしてほしいところだ。

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ところで、本書を読んでいて何より驚かされるのは、その議論の「細かさ」だろう。著者は自説を展開するうえで、じつに多くの証拠や知見をつぶさに検証している。はっきり言って、その細かさには、読んでいて泣き言を言いたくなることもあるほどだ。

しかし裏を返せば、著者はそれだけ緻密で、堅固で、具体的な議論を展開しているのである。ただ単に、壮大なストーリーを熱っぽく語っているのではない。それと同時に、それを裏づける冷静かつ緻密な論拠をしっかり提示してもいる。冒頭でも触れたように、そのふたつの要素が見事に両立していることにこそ、ほかにはなかなか真似できない本書の魅力があると言えるだろう。

とにもかくにも、どうかこのレビューを読んで満足などしないでほしい。分量からしても難易度からしても、登るべき山はたしかに険しい。ただ、それだけに登り終えたときの悦びは格別であるし、また、頂上から見渡せる景色はやはり美しい。ぜひあなたにもその悦びと美しさを味わってほしいと思う。

澤畑 塁 HONZ

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1978年生まれ。専門書出版社に勤務。営業職。大学では哲学を専攻していたものの、最近の読書はもっぱらサイエンス系。ふたりの子どもと遊ぶ時間のため読書時間は半減しているが、それはそれでわるくないと感じている昨今。

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