「葛藤」の本能を経営の意思決定に応用しよう 「相反する要請の衝突」が本能を進化させた

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進化のプロセスは無から有を生むのではなく、元の構造の上に新しい構造を上乗せしていく歴史である。このためか、われわれの脳は1つの本能による行動を抑制するのに、その本能自体を弱めるよりも、それを上回る別の力を作用させることが多い。

親に対する依存を例に取ると、成人が近づくと親との絆を消失させる仕組みではなく、それより強い反発心を生じさせ、無理やり独立を促す仕組みを採用している。この要請は、親離れの時期の一時的なもので、いわばタイマー付きでプログラムされている。社会に出て何年か経つと通常反発は収まり、「おやじもなかなか話せるではないか」などと一杯酌み交わすことになる。

さてこのように、本能は、重要な行動を決定づける際、アクセルとブレーキを同時に踏むような感情の対決を作り出すことがある。もう1つの例は、思春期における異性への意識である。

人間の場合、一夫一婦で家族を作って子育てをすることが一般であるから、パートナー選びは種の存続上、極めて重要である。相手との強い絆を築くことと、間違って適合しない相手を選んでしまわない用心の両方が必要という、相反する要請が生じる。このことから、いわゆる恋という状態においては、相手に近づきたいという強い欲求と、一方で恥ずかしさを強く感じてあえて避けたり、意味もなく反発してみたりといった矛盾する行動が生じる。

「葛藤」は非効率だが重要な決定には必要だ

こうした葛藤のプロセスでは、一見すると非常に無駄なエネルギーを費やしているようであるが、強い絆の構築と、選択ミスの回避という、相反する重要課題を両立させるという観点からは、案外最適なシステムなのかもしれない。

面白いのは、このようなメカニズムが発動している際、当事者はあらかじめプログラムされた本能行動に従っているという認識をほとんど持たないことである。行動進化論の視点を持つと、人の感情は、愛情にせよ怒りにせよすべて本能の発現として理解できるのだが、そこに至るには一定の訓練を要するようだ。

親離れであれ恋であれ、葛藤の生じている間、本人の悩みは深い。当事者にはもちろん矛盾する感情を楽しむ余裕などないが、小説や演劇、流行歌などには格好な題材を提供する。

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