発達障害の僕が「うつの底」で体験した地獄 自己肯定感に「根拠」がある人は危ない

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僕は、自分の能力の欠損を社会的な肩書やおカネといったもので埋め合わせることを目指して30歳まで生きてきました。それは傍から見ると滑稽で無様な人生だったと思いますが、それでもそこには「前進をやめたら死んでしまう」という強烈な切迫感が存在していました。

「自分は劣った人間であり、そのままでは人間としての価値を認められることはできない。だから成果を出して社会をねじ伏せるしかない」というモチベーションです。僕の人生の原動力は往々にしてコンプレックスそのものでした。

大学入試も就職活動もそうですが、社会的地位や名誉を手に入れれば自分の欠損が免罪されるのではないかという大きな期待があったのです。そして得た成果から「僕はこれだけの結果を出している。だから僕は自分を肯定していい、生きていていい」という自己肯定感を得ていました。

それはもっと言えば、「僕より結果を出せていない人間はたくさんいる。僕はあいつらよりは生きる価値がある」という、他人を見下して得る自己肯定感でもありました。

最初の仕事を辞した後は、「自分はこれから起業するんだ。新たなチャレンジに打って出るんだ」という考え方で自己肯定感を確保していました。
しかし、起業が失敗に終わったことが確定的になったとき、僕を支えていた自己肯定感は跡形もなく吹き飛びました。

毎日、「飛び降りるビル」を下見していた

そして、やってきたのが巨大なうつです。当たり前ですよね。自分自身の信奉する価値観に照らして、30年近くの間自分を支えた信念に照らして、まさに自分に生きる価値がないことが証明されてしまったのですから。

いやー……キツかったですね。対外的にはそれなりに振る舞っていましたが、毎日ほとんど寝て暮らし、ちょっと気力があれば死ぬための身辺整理を行い、飛び降りる予定のビルを下見する。

そんなことを繰り返していました。ここまで希死念慮が強まると、「下見」をしていたり「準備」をしているときはむしろ安らぎがやってくるのです。まるで仕事を投げ出して旅行に行く準備をしているような心地好さがありました。思い当たる節がある方も多いのではないでしょうか。

ではなぜ死ななかったかというと、会社の残務整理があったからです。会社の事業の9割方が売却されても、最後の最後にほんのちょっとした事業は残っていて、そこには従業員も1人残っていたのです。

結局は、事業の本体がダメになってしまった後にその付属物であった小さな事業ひとつを継続しても意味はないと判断して売却しましたが、従業員に会社を離れてもらい諸々の整理を行う、この作業が長引きました。僕が死ななかった理由は主にそれです。

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