「馬の背」解消、横浜駅工事はこれから本番だ 今後は周辺の魅力アップも課題に
最終的に相鉄と崎陽軒でそれぞれが提出した案をまとめ、自己資金だけでは駅舎の建設をすることが難しい国鉄がゴーサイン
その後、1973年に相鉄が10両編成化に伴い、ホームと改札口を高架化したうえで現在の位置まで南西に移動し、同時に相鉄ジョイナスと横浜高島屋が現在と同じ位置で開業。1980年には幅13mの国鉄横浜駅構内の地下通路を拡幅し、幅36mの東西自由通路が完成する。この相鉄の移転と自由通路誕生による国鉄の改札地下化で、横浜ステーションビルには東急の改札口と「馬の背」の構造だけが長年取り残されることとなった。
その後は横浜駅がさらに大きく広がる。1980年の東西自由通路開業と時を同じくして東口には駅ビル「ルミネ」と地下街「ポルタ」が開業、1985年にはポルタの向こう側に横浜そごうが開業した。
東横線地下化で増えた通路
しばらく工事が落ち着いた期間を置き、1995年からはみなとみらい線乗り入れと通路増設に向けた工事が始まった。この工事により、東急が地下化したうえでみなとみらい線に乗り入れるとともに、北と南に1本ずつ地下自由通路とそれをつなぐ南北自由通路が作られ、さらに東横線の跡地を利用する形で横須賀線のホームが広がった。工事は当初よりも遅れ、2011年まで続くこととなったが、中央通路への人の集中は緩和された。
ジェイアール東日本企画の「JR主要駅改札口別利用実態調査2017」によると、JRの乗降客の16.0%が北改札、43.1%が中央通路の改札、30.5%が南改札を利用するようになり、横浜駅を利用する人々の中央通路への集中が緩和した。
そして2010年、老朽化した横浜ステーションビルの建て替え計画がJR東日本から発表された。当初計画では東急電鉄と共同で、横浜ステーションビルと隣接する横浜エクセルホテル東急を2011年から取り壊し、地上33階建て地下3階建ての駅前棟、地上8階建て地下1階建ての線路上空棟、地上9階建て鶴屋町棟を建設する予定だった。
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