いまの資本主義が生む「錯綜する欲望」とは? NHK異色の「経済」番組が問いかけたこと

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複雑な情報ネットワークが人々の欲望を喚起し、デジタル化されシステム化された社会環境が仕事の定義そのものを大きく揺さぶる時代が、人々に要求する綱渡り。それこそが資本主義に秘められた錯綜を解くためのひとつのカギなのではないだろうか。

すべてを商品化する怪物的な力量を持った資本主義。ことに冷戦構造解体後のこの四半世紀あまり、幸か不幸か社会主義というまったく異なる経済原理の壁、「鉄のカーテン」のストッパーをなくしたグローバル資本主義は、地球上を市場の網で覆い、席巻するアメーバのようだ。

すき間というすき間に入り込み、「差異」を発見しては、商品化していくパワーには驚くべきものがある。そこでは「付加価値」の重要性が叫ばれ、「差別化」こそが戦略であると教えられるマーケティングの論理、商品開発のセオリーが徹底されている。

グローバル資本主義下では、あらゆるものが「商品」になる。市場は、「自由」であることを最上の価値とする場だ。買い手がいるかぎり、さまざまな「商品」が生まれる。どこまでも「商品」になる現象は止まらない。

これが行き着くと、やがて人間の「感情」や「人生」そのものまでもが、「商品」になりうる。しかし、その懸念は、あまり取りざたされない。その可能性に歯止めをかけよう、「行きすぎ」を止めようという行為は、「市場の自由を阻害する」ことになってしまうからだ。

冒頭でもご紹介した「欲望の資本主義2018~闇の力が目覚める時~」は、そうした現代の資本主義ゆえのジレンマを浮かび上がらせる。

「自由」と「倫理」の狭間で生じるジレンマ

とまあ、こう書くと、市場に歯止めをかけよ、「強欲」資本主義を規制せよ、という「倫理」的なお説教か、と思う方もいらっしゃるかもしれない。また、脱成長論、新型社会主義を望む意見ととらえる方もいるだろう。だが、ここで僕が展開したい話の方向性は少々異なる。

市場の「自由」は大事だ。だが問題は、この「自由」な市場での売り買いの場で、現代の資本主義はある種の「錯覚」を生みやすいことにあるのではないだろうか。

かつてのモノづくりをベースとした工業社会、産業社会とは異なり、現代の資本主義は、リンゴを「高く売る」ことばかりに人々の心を駆り立てることに長けているように見えるのだ。今や、ポスト工業化社会、ポスト産業社会などの形容が与えられる市場。そこで取引される商品は、形のないものへ、体験、共感、感情などへとシフトしているのだから。

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