齋藤孝「本を読まない人たちが知らない人生」 「自分らしく生きる」とはどういうことか
私は、現代人は文学を読むことの優先順位を高く設定すべきだと思っています。なぜならば文学作品は、「自分の経験以上のもの」を与えてくれるからです。たとえば、『ジャン・クリストフ』という長編小説があります。この小説には、主人公が生まれてから死ぬまでの出来事が詳細に描かれています。このような小説を読んでいると、別の人間の人生を生きたような感覚を得ることができるのです。
当たり前ですが、私たちは私たち固有の人生を生きているので、他人の人生を生きることはできません。しかし文学を読むことで、他人の人生を追体験することはできる。これが非常に大事なことです。言い換えると、他人の気持ちに感情移入し、想像するということですね。
さらにこの経験は、私たちに「寛容さ」を教えてくれます。人間は「寛容さ」を身に付けるからこそ成長していくことができると、私は思っています。人が生きていくうえでは、他人の考えを想像して理解し、認めて、受け入れることが求められます。そのような力を培うことができるのが、文学なのです。
文学を読むと、自分の弱い部分や、他人に対して攻撃的になってしまう「過剰な部分」を認めることができるようになり、人間としてのバランスが培われます。文学が描く「日常生活では経験できない世界」を通り抜けることで、精神的に成長することができるのです。
自分らしく生きるには
一方で、文学は私たちがこれまでに経験してきたことを思い出させてくれる力も持っています。今回、『別冊NHK100分de名著 読書の学校』の特別授業で中学生に読んでもらった『銀の匙』という本は、そんな1冊です。この本には、著者である中勘助が子ども時代に経験した一つひとつの思い出が2ページ程度で描かれ、それに伴い主人公は成長していきます。
たとえば本書には、子ども時代に経験したお祭りの話が出てきます。その部分を読んだときに私たちの頭の中で何が起こるかというと、まずは作品に描かれている中勘助の経験を想像します。そして同時に、「そういえば、自分も小さいころにお祭りに行ったな」と、自分の経験と照らし合わせます。つまり、中勘助の経験と自分の経験の2つを並行して追いかけているのです。文学を読む楽しみは、作者の経験に寄り添い、作品の世界へと深く入りこんで、その世界を共有することにあります。本を読むことは、大変高度で知的な作業なのです。
この『銀の匙』から私たちが学べることは何か。ひとことで言うと「生き方の価値観を考え直す」ことの重要性です。普段、私たちは現代社会のさまざまな価値観に縛られています。たとえば、学校や会社ではつねに競争することを求められます。時には、何が損か得かを考えて行動しなければなりません。しかし『銀の匙』の世界には、そのような経済合理性の外にあるものの豊かさが多く描かれています。
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