全米騒然!元FBI長官渾身の「暴露本」の中身 トランプと闘った男が言いたいこと
しかし、コミーはトランプの側にいることで陥ったトランス状態から脱出している最中で、瞬きをしながら驚いたように周りを見ている、荒廃し、堕落した土地に出現したアイルランド人のダンテなのである。
筆者自身、米国諜報機関について報告したり執筆したりするのに何年も費やしたことからコミーのことは多少知っている。彼は真っ直ぐな矢のような人物だ。生まれた時から最近まで共和党員であったコミーは、ジョージ・W・ブッシュとディック・チェイニーに「ノー」と言ったことで有名になった。
国家の2つの秘密をめぐり大統領と対立
司法長官代理、そしてブッシュ政権の臨時法務長官として過ごした非常に危険な2年の間、強い圧力をかけられながらもコミーは法の原則を支持し続けた。彼は、国家の最も深い2つの秘密について、当時の大統領と副大統領と対立した。
国家安全保障局(NSA)が米国民をスパイしていることが憲法違反であるとしている件と、中央情報局(CIA)がテロリストの疑いのある人物を拷問していることが法律違反であり不道徳としている件についてである。
2004年3月の出来事がコミーの勇敢さを物語っている。彼は数時間前に臨時法務長官に就任したばかりで、NSAの電子盗聴プログラムを再承認することに反対していた。
ホワイトハウスでは、チェイニー副大統領がコミーと真正面からにらみ合い、「あなたのせいで何千人という人が死んでしまうんだぞ」と言った。しかしコミーは強硬な態度を取り、ブッシュ大統領に正面から立ち向かった。コミーはマーティン・ルーサー・キング牧師を引用し、ブッシュ大統領に「私はここに立つ。それしかできないからだ」と告げた。
そして、「米国民は、われわれが何をしてきたかを知ったらパニックを起こすだろう」と付け加えた。ブッシュは引き下がった。これは、米国の国家安全保障の歴史でも特異な出来事であった。
コミーには道徳的見地から辞任する用意ができていた。しかし、彼がそうしていれば、ブッシュ自身が彼の回顧録で述べたとおり、ブッシュ政権は万事終わりだっただろう。