中国人の「爆買い」と「トイレ革命」の深い関係 共通する「外」「内」意識の存在とは何なのか
中国では、このような、「外」と「内」に対する感覚のギャップが激しい。「外」にあるものに強く不信を持ち、または気を遣わないが、「内」だと、すべて信頼して丁寧に使う。消費市場では、知らない他人から、提供されたサービスや商品に強い不信感を持つことを意味する。なぜこのような激しい差ができたかというと、最も根本的な要因は共通認識の少なさである。
日本の25倍以上もある約960万平方キロメートルの広大な国土に、56民族が暮らしている中国。標準語が普及しているものの、隣村でもお互いにまったく通じない方言はたくさんある。気候・風土・歴史の違いから、言葉だけではなく、文化・風習・伝統・飲食・考えもさまざまだ。
そして、1978年改革開放政策が実施され、「先に豊かになる」人と、「まだ貧困と戦っている」人は共存するようになり、地域間の経済的な格差も大きい。温水洗浄便座が人気になった大都市と水洗トイレのない農村地域。高校生からのアメリカ留学が普通になってきたところと、高卒者さえいないところ。同じ国、同じ世代の人でもまったく違う暮らしをする人が共存しているのである。教養レベル・海外先進国との交流・世界共通マナーとの接触も、やはり経済的に余裕がある地域と家庭で多い。
その結果、中国人の間では、日本人がよく言う「あうんの呼吸」「共通認識」「共感」を持つことは難しい。
圏子でないと共通認識がない
トイレの話から飛んで恐縮だが、結婚式の開催時間を例とすると、北京と天津は近隣同士だがまったく違う。北京の場合、午前中に式を挙げる必要がある。午後に挙げると、再婚の人の場合の式になるからだ。一方の天津の場合、午後に結婚式を挙げるのが普通である。つまり、近くても真逆のような違いがあるため、同じ地域、ないし同じ「レベル」の人(以前の記事ではこのような人間関係を「圏子」と紹介している)ではないと、共通認識がないということになる。共通認識がないので、知らない人の考えもバックグラウンドもわからないので、信頼関係の構築ができなくなる。
結果、公衆トイレといったさまざまな人が利用するところ、つまり自分の「圏子」外の人と共用するところだと、わざと汚そうとしていないが水洗の使い方をそもそもわからない人も、温水洗浄便座に慣れた人も使う。前者はわからないから、そのままにするしかないだろう。しかし後者は、気持ち悪いくらい使いたくないだろう。便座についても、先にどんな人が使ったのかもわからず、そのため、衛生状況が自分より悪いと想像してしまいがちだ。女子トイレの場合、便座に座らず、足の踏み台として利用する人が多い。
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