福知山線脱線事故「遺族と元社長」13年の闘い JR西日本を変えた2人の技術屋の出会い

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JR西は事故直後、「組織風土に問題があった」と社長が国会で反省の弁を述べたものの、社内では相変わらず「運転士の単独ミス」と見て、「未熟な運転士のせいで、会社が大変な損害を被った」と、むしろ自分たちが被害者であるかのような認識が根強くあった。淺野氏たちの求めに対しても、事故調査委員会(当時。現在の運輸安全委員会)の調査や警察・検察の捜査を理由に、具体的な説明を拒み続けた。

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淺野氏は、自らの職歴を通じて培った交渉力をもって、その強固な壁に挑んだ。彼の職業は、都市計画コンサルタント。地域開発やまちづくりに際して、開発主体である自治体などと住民や利害関係者の間に入って合意形成をさせる建築系の技術屋である。災害被災地の復興や公害地域の再生にも深くかかわり、行政や企業と対峙してきた、いわば交渉の専門家だった。

要望、交渉、決裂、申し入れ、門前払い……さまざまな曲折を経て、淺野氏は一人の人物に対話の糸口を見いだす。事故後、子会社から約7年ぶりに呼び戻され、2006年2月にJR西社長に就任した山崎正夫氏である。

事故後を託された出戻り社長の孤独と決断

山崎氏は、技術系キャリアとして国鉄に入社以来、ほぼ一貫して運転系統の職場を歩んだ、同社では初の技術屋社長だった。国鉄分割・民営化の「総司令官」であり、「JR西の天皇」と呼ばれた井手正敬氏が長く君臨した組織文化の中では、通常ありえなかった出戻り人事。常務兼鉄道本部長から子会社へ出向した時には、「井手さんに嫌われたな」と社内で言われ、事故後の社長就任も「敗戦処理のショートリリーフ」とささやかれた。

だが、山崎氏は「安全意識の徹底・現場重視・技術重視」の三本柱を打ち出し、組織風土改革の孤独な闘いに向かっていく。井手氏に付き従う事務系エリートが支配してきた組織のあり方を変え、「上意下達で物言えぬ空気」と言われた風土を反省し、現場から安全施策を積み上げようと呼びかけた。社長就任時の所信表明ではホンダの創業者、本田宗一郎の言葉を口にしている。「進歩は、反省の厳しさに正比例する」──。

淺野氏は、同世代の技術屋であり、官僚らしからぬ率直な物言いで、時に失言もする山崎氏に、「本音で話し合える相手」と期待を寄せた。

次ページ退職に追い込まれてもあきらめなかった山崎氏
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