至高の雪男、皆川賢太郎の「スキー連盟」改革 競技本部長として強い組織を作るために奮闘
40歳で強化部門のトップ、迎えた平昌五輪
――今年の2月に開催された平昌五輪は記憶に新しいです。皆川さんはどのような役割を担ってきたのですか?
連盟(SAJ)は4年周期で基本的に強化を考えています。4年あるうちの後半の2年で修正をして次の4年をどうするのかという考え方でやっていて、オリンピックはこのサイクルの分岐点になります。
僕の競技生活は37歳までだったので、引退後すぐに取り組んだことは、アルペンスキーの興行を日本に持ってくることの手伝いでした。それが事業規模で3億8000万円くらいでした。
そこで、いろいろなことも学べたし、その成功がきっかけで2015年に理事になって翌年に常務理事、そして今に至ります。引退後すぐにも事業やビジネス等々やっていたのですけど、僕はほぼ1本釣りで、いきなり理事に就任することになった経緯があります。
連盟は、グローバル活動している人間からするとすごい違いがある。野球でいえば高野連とプロ野球が違うように、スポーツの環境はまだ(学校教育の中の)体育という認識があります。
僕も含めて、どんな人も、オリンピックが終わってから基本的に人事を変えようって思うもの。ですが、(多くの五輪選手を輩出するスキー部がある)北野建設の北野貴裕会長の手腕もあって、今の役割を担っています。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら