12年前の苦い記憶、加地亮が語るドイツW杯 自分が出られなかった初戦で事実上終わった
そんな彼にとって、ドイツの大舞台は1つの集大成になるはずだった。1999年ワールドユース(ナイジェリア)準優勝の偉業をともに果たし、プロの階段を駆け上がった小野伸二、稲本潤一(ともにJ1コンサドーレ札幌)、高原直泰(沖縄SV)ら黄金世代が総勢7人もいる代表にも深い愛着を覚えていたに違いない。
ところが、6月12日の初戦・オーストラリア戦を2週間後に控えた5月30日のドイツ戦(レバークーゼン)で、加地はバスティアン・シュヴァインシュタイガー(シカゴ・ファイアー)に後方から悪質なタックルを受けて右足首を負傷。本大会出場が危ぶまれる状況に陥ってしまう。
「これ、ワールドカップに出られるのかな」
彼の脳裏に第一に浮かんだのは、こんな思いだったという。
タンカで退場してからはドクター、トレーナーと連日、治療・リハビリに専念する羽目になる。メンバー入れ替え期限ギリギリまで、彼らは全力で可能性を探り続けた。
ケガのことで頭がいっぱいだった
「本大会がOKかどうか最終チェックする日があったんです。『これでアカンかったら、日本に帰る』という覚悟を持って診てもらいましたけど、とりあえず、大会にはゴーサインが出て、心からホッとした記憶があります。僕自身、ケガの治療のことだけで頭がいっぱいで、初めてのワールドカップの緊張感を感じる余裕がなかった。そこだけはよかった点かもしれません。ただ、初戦は出られず、2戦目のクロアチア戦からになると。他のメンバーに頑張ってもらうしかなかったですね」
迎えた6月12日。カイザースラウテルンはギラギラとした太陽が照り続けていた。ドイツ戦のときは真冬のような寒さだったのに、気温が25度近くも違う。これにはベンチで見ていた加地も大いに不安を覚えた。
それでも日本は前半のうちに中村俊輔のラッキーゴールで先制。1-0で前半を折り返した。ただ、それはオーストラリアにとっては想定内のシナリオだった。彼らは後半からティム・ケイヒル(ミルウォールFC)、ジョシュア・ケネディ、ジョン・アロイージ(ブリスベン・ロアー監督)の切り札3枚を次々と投入。ラスト6分間にまさかの3点を叩き込まれてしまった。
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