JR西日本はなぜ「天皇」井手正敬と決別したか 新幹線「台車トラブル」と福知山線脱線事故
この原因として、JR西日本は「現場と指令所の認識のズレ」「不十分な指令間協議」「列車を止める判断の相互依存」を挙げ、情報伝達の言葉の工夫(質問の仕方や確認会話)/コミュニケーションツールの充実(会議用アプリ導入、音声モニター増備)/現場判断最優先の徹底などの対策を並べた。
だが、これによって、問題は解消できるだろうか。福知山線事故後に定めた安全憲章にうたうように、「安全の確保のためには、組織や職責をこえて一致協力しなければならない」「判断に迷ったときは、最も安全と認められる行動をとらなければならない」という項目が達成できるだろうか。楽観はできない。今後の動きを厳しく見ていくしかない。
国鉄改革の幻影を見ていた井手正敬元会長
2005年4月25日の福知山線事故までのJR西日本が「個人の責任を徹底的に追及し、ミスを戒める」という安全思想に立っていたことは、事故調査報告書や当時のマスコミ報道などでよく知られている。そうした組織風土を形成する大きな要因となったのが、冒頭に引いた井手氏の思想である。
国鉄分割・民営化の「総司令官」と呼ばれた井手氏の安全観、「JR西日本の天皇」と恐れられるほどの独裁的統治体制の背景には、労組と激しく対立した国鉄時代の経験がある。昨年の秋に私が取材をしたとき、彼はそのことを繰り返し語った。
「国鉄改革がいかに偉大なことだったか。そこを理解してもらわないと、この話はわからない。生木を裂くような改革をやったんです。革命だったんですよ。20年や30年で収まるようなものじゃない」
「放っておけば、現場はすぐに緩む。楽をしようと元に(国鉄時代に)戻るんです。管理をするべき幹部が現場を歩いていなかったから、事故を防げなかったんです」
井手氏の認識では、福知山線事故は「国鉄の悪しき官僚主義の残滓(ざんし)」が噴出した結果だったということになる。あの事故の原因は「完全に運転士のチョンボ。それ以外ありえない」と言い切り、たるんだ社員の締め付けが足りなかったからだとの認識を示した。
だが、現在のJR西日本の認識は大きく隔たっている。むしろ、「国鉄時代の反省に立った上意下達の物言えぬ風土が事故の背景になった」と、正反対の見方をしている。『軌道』の主人公である事故遺族の淺野弥三一(やさかず)氏をはじめ、安全問題やリスク管理にかかわる専門家は概ね、こちらの見方を支持している。
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