カンボジアの「独裁」はどれほどひどいのか NGO、専門家、メディア当事者が証言
この政府の決定を受け、カンボジアの現状報告と日本政府への提言のため、2018年2月8日、国際NGOが主催する院内集会が衆議院第一会館で開催されました。集会には、国会で質疑を行った源馬氏をはじめ、廃刊に追い込まれた主要新聞社「カンボジア・デイリー紙」からデボラ・クリッシャー・スティール氏、またNGO関係者などが参加しました。今回の特集記事では、この院内集会の模様をお届けします。
廃刊した主要メディアの最後の叫び
堀潤:「カンボジア・デイリー紙」の廃刊は、同じメディアで働く者としてショックでした。「カンボジア・デイリー紙」の元副発行人デボラ・クリッシャー・スティールさんにお話を伺ってみましょう。
デボラ・クリッシャー・スティール (カンボジア・デイリー紙の元副発行人):1993年に父のバーナード・クリッシャーが「カンボジア・デイリー紙」を創始しました。いくつかのメディアが2017年にシャットダウンされましたが、本誌もその一つです。私たちはジャーナリズムのロールモデルになることを目指していました。1991年のパリ和平協定後、24年間休刊せず続けてきました。亡くなられた国王は熱心な応援者で、「私のCIAだ」と徹底的な調査力を評価してくれました。発行部数は3000部程でしたが、政府高官が読むなど影響力は大きいものでした。フン・セン政府が検閲をしていない「カンボジア・デイリー紙」を見せ、民主主義を海外にアピールすることもありました。以前は、会社登録が無くとも新聞発行のライセンスをもらうことができていました。父や私、夫は給与をもらわずに働いており、収益はわずかでした。2016年3月に父から後を継ぎ、法人化して登録手続きを行いました。その時の税務署は非常に友好的でした。その後、税務代理事務所に依頼するなど体制を整えていきました。
2017年6月に1646コミューン(地区・自治体)で地方選挙があり、与党がプノンペン都やシェムリアップ州という大きな場所で敗北した後から状況が変わり始めました。政府からの野党やラジオ局、私たちへの圧力が強くなりました。さらに、税務署から呼び出しもありました。「夫が横田基地にいるため、訪問を延ばせないか」との問い合わせに対し送られてきた手紙は、630万ドルの税の滞納を告げる驚くべきものでした。そして、それがメディアにリークされました。「監査を受けた」と報道されましたが、帳簿を見られたこともありませんでした。税務代理事務所は、「税務署は天文学的な額をふっかけ、交渉で安くしていく手口がある」とのことでしたが、今回大きく違うのはメディアへのリーク。監査手続きや秘密保持がされませんでした。その後もメディアへのリークは続き、税務代理事務所は「これはおかしい、政治的なことだ」と言い始め、最終的には関わるのをやめてしまいました。メディアへのリークを受けて、購読や広告のキャンセルが発生。スタッフを賄う収入源を絶たれ、閉鎖の選択を余儀なくされました。
その時期、カンボジア野党・救国党のケム・ソカ党首が国家反逆罪で逮捕されました。「カンボジア・デイリー紙」の最後の記事ではこのことを取り上げ、見出しは「Descent into outright dictatorship.(完全なる独裁政権に堕ちた)」と、独裁を指摘するものでした。翌日、父、私、夫への出国禁止令が出され、その時国内にいた夫は出国できなくなってしまいました。その後、ラジオ局の閉鎖などもあり、外国メディアスタッフの大量流出がありました。ラジオ局「ラジオ・フリー・アジア」の記者2名は拘束され、最大懲役10年の判決を受ける可能性もあります。