「アイドルの作られ方」が激変した根本理由 平成アイドル史、この30年で何があったのか

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では、平成の初めに何があったのか? 前述の音楽番組終了のあおりをまともに受けたのが、SMAPであった。すぐ上の先輩で爆発的ブームを巻き起こした光GENJIがぎりぎり昭和に間に合ったのに対し、SMAPのCDデビューは91(平成3)年。つまり、主要な音楽番組がすでに終了した後だった。

光GENJIがその名の通り「光源氏」を連想させる王子様的アイドルだったように、昭和アイドルは虚構のなかで輝く存在だった。遡れば山口百恵、松田聖子や中森明菜もそうだった。彼らや彼女たちは、楽曲という「作品」のなかで自分の役柄を演じることをアイデンティティにしていた。そんなアイドル歌手にとって、音楽番組の終了は虚構の世界を演じる場そのものの喪失をも意味していた。

代わって平成アイドルにとって重要になったもの、それはドキュメンタリー性であった。SMAPの新しさのひとつは、アイドルがドキュメンタリー性を担った点にあった。

確かに歌、芝居、コントで演じる彼らの魅力も大きかった。だが、木村拓哉がトーク番組で恋愛や性についてアイドルらしからぬ率直さで発言するなど、SMAPのメンバーは「素」の部分を出すことをためらわなかった。従来のジャニーズのイメージを覆すその姿は、世間に新鮮な印象を与えた。

そのスタンスは、グループとしても一貫していた。メンバーの脱退や不祥事、東日本大震災発生に際し「SMAP×SMAP」(フジテレビ)の生放送で真情を吐露する姿もまた、ドキュメンタリー性を色濃く帯びたものであった。

モーニング娘。が継承したもの/革新したもの

ドキュメンタリー性は、「アイドル冬の時代」を終わらせたとされるモーニング娘。にとっても不可欠な要素だった。

オーディション番組「ASAYAN」(テレビ東京)の出身という点では、彼女たちは昭和の「スター誕生!」出身アイドルと同じである。ただ、モーニング娘。の初期メンバーはオーディションに落選した人たちだった。彼女たちがインディーズから出発してCDを5万枚手売りする様子は、同番組内でも放送された。すなわち、「メジャーデビューへの道」がドキュメンタリーとして伝えられたのである。

またそれ以後のモーニング娘。にも、頻繁なメンバーの増減というかたちでドキュメンタリー要素は受け継がれた。モーニング娘。では、グループの人数は固定されず、メンバーの卒業・脱退と加入がその時々の事情に応じて繰り返されることになった。

確かに80年代後半に大ブームを起こした昭和のおニャン子クラブでも、しばしばメンバーが入れ替わった。だが、“遊び”を強調した「クラブ活動」のコンセプトが物語るように、そこにドキュメンタリー要素は希薄だった。

それに対しモーニング娘。では、ドキュメンタリー要素がはるかに強い。新メンバー加入などのたびにグループ内には緊張感が生まれる。例えば、当時13歳だった後藤真希が加入と同時にいきなりセンターに抜擢され、その最初のシングル曲『LOVEマシーン』(99年)が大ヒットを記録する。その一連の過程には、メンバーの気持ちが揺れ動くドキュメンタリー的な見応えがあった。また、あまり目立たないメンバーだった保田圭が「うたばん」(TBSテレビ)での“いじり”によって人気を得ていった過程にも同様の面白さがあった。

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