45歳男性が語った「20年路上生活」の深刻理由 一度の失敗で親に家を追い出された
ここからは少し長いですが、なべさんの語りを引用します。
地元は、東京の足立区というところです。小学校1年生のときに頭を手術して、開頭されました。生まれつきの病気です。その関係で、てんかんの発作があります。(学校生活での制約は)プールとかマラソンとかが駄目ということでした。毎月病院に行って診察を受け、薬を毎日飲んでいて、脳のCT検査を年に2回受けていました。
中学ぐらいまで、両親がいました。自分は5人きょうだいのいちばん上です。中学生のときに両親が離婚をしました。
母親のほうに子どもが5人引き取られて母子家庭になり、生活保護を受けて都営住宅に入りました。中学に行ってはいましたが、自分はそういうのがきっかけで人付き合いが苦手になりました。
同級生からいじめられるようになった
離婚してからですかね……。
母子家庭になったときに、自分の病気の影響もあるのかもしれませんが、周りの同級生からのいじめが出てきました。
学校も、もうだんだんと休むほうが多くなって登校しなくなり、登校拒否みたいになってしまいました。1年生のときは大丈夫で、2年生から半分ぐらいになりました。3年生になったときに、そこの中学校は障害者用の特別な教室(現在の特別支援学級)があり、そこに移してもらいました。家庭訪問で、母親と自分がいじめや病気のこと、知恵が遅れているとか、そういう話をして。それで3年の1学期のときに移ることに。そこで1年間頑張り、もちろん出席もしていたので、卒業できました。
卒業後は、高校に行きたいという思いはありました。けれど母子家庭ですので、弟や妹のために自分が何とかしなくてはいけないという思いがありました。進路は、担任の先生から小さい工場での仕事を紹介され、見学や体験を卒業前に1カ月ぐらいやりました。
社長さんもいろいろと理解してくれていて、仕事ぶりとか見てもらって真面目にやっていると評価をいただきました。
中学卒業と同時に、4月からそこに入社が決まりました。自宅から近く、歩いて行ける範囲の会社で、だから交通費の負担もかからなかったです。
接着剤を使う会社でした。主にシンナーを使っていました。自分はシンナー、アルコールも駄目みたいです。
体験実習のときから少しきついなとは思っていましたが、みんなから「慣れるよ」「慣れるよ」と言われて。「慣れるのかな、でもこれきついな」と思っていました。でも社長さんから頑張っていると言ってもらい、少し頑張ってみようという思いで入り、半年頑張ったら倒れてしまいました。