大江千里、47歳で始めた僕の「ライフ・シフト」 米国での活動から小室さんの引退までを語る
そういう覚悟は、ずっと前からあったとも言えます。『APOLLO』(1990年9月発売のアルバム)を出してオリコンランキング1位を取った直後ぐらいに、ライブツアーの会場で不思議な光景を見たんです。前回のツアーでいた人が、1列分ぐらいいないんです。地方の公演でしたね。あれ? 今オリコン1位なのにどうしていなくなっちゃったんだろう?って。ヒットして最大公約数のファンを得ることは、本当に好きな人を減らすんだな。これは覚悟しなきゃいけないときが来るんじゃないかな、って直感しました。それが見えたのは、僕だけだったんですよ。
「別の次元に」という思いを止められなかった
――同じチームのプロデューサーだとかには、見えていなかった?
だいたいは見えていなかった。でも1人だけ、すごいやつがいました。
そのツアーでお酒を飲んだときに彼が、「人気がなくなり始めてるって、わかってますよね。これからはプロデューサーとして、別の立場で音楽にかかわっていくことって、考えていますか」って僕に言うんです。そうは言っても、オリコン1位を取ったばかりの時期です。なんて失礼なことを言うんだって思いながらも、その言葉は突き刺さりましたね。これはきっとものすごい意味がある、聞き逃しちゃいけない。はらわたが煮えくり返る思いをしながら、ものすごい顔して、でも言い返せないで聞いていたと覚えています。
悔しい思いをした後に実際に音楽の世界で旬が過ぎ始めて、いろいろ頑張ってみたら次に仕事がつながってきて、そうしたらまたちょっと浮上して……という時期を迎えました。それが40代半ば。そのときにちょうど肉親の死が重なったこともあり、「僕はいつまでやるんだろう。やるんだったら覚悟を決めなきゃいけないことがあるんじゃないか」と思った。それで、どうなるかまったくわからない世界だけど、別の次元に行ってみたいという思いを止められなかった。こういう経緯がすべてあって、今ここにいるんだなと思う。
実は僕、今をときめくアイドルの楽曲コンペで全部落ちてるんですよ。
――今の話ですか。
今現在、全部落ちています。基本的には書かないつもりなんですが、いくつかは「落ちるとしても絶対やるべき」というコンペがあるんです。それは自分が成長するためにやるんですね。
――そこに合わせて自分のベストをチューニングしていくことが重要。
そうなんです。そうやって作って、落ちた曲を蘇生させて、ジャズのアルバムに使っています。テンポを変えて、スイングにして、歌詞を全部英語に書き換えて。テイストは変わるけど、自分にとって「ここが胸に来るよね」というポイントは同じ。そのポイントを蘇生させることはいくらでもできる。自分が持っているテイストは、年齢なんかでそんなに簡単に枯渇するものではないと思う。
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