ヒトの脳は「他人を裁く」ようにできている 「暴走する正義漢」を止める方法はない

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もちろん、制裁を加える本人ではありません。制裁を加える本人は、制裁することによる仕返しのリスクを負わなければなりませんので、客観的に見れば、制裁というのは、"損"な行動なのです。制裁に掛かる「労力」と「時間」というコストの問題もあります。

つまり、個人という単位で見たときに利得が高くなるのは「何も見なかったことにする」という行動を取った人です。何かアクションを起こすこと自体が、時間と労力の損失になるからです。

仕返しのリスクがあるにもかかわらず、それを行うのは何らかのインセンティブがあるからだ、と考えざるを得ません。一応、私たちヒトも生物のはしくれですので、何らかの得がなければその行動を選択しません。

しかし、想定できる利得というのは、実は制裁を加える本人の脳内に分泌されるドーパミンだけなのです。ようするに「目立つあいつ」「ムカつく誰か」「一人だけズルをしているかもしれないあの人」が傷ついたことによって得られる、ドーパミンの分泌による快感です。

すべての集団で起こり得る現象

では、なぜ、「不謹慎」を叩くことによってドーパミンが分泌されるのでしょうか。

これはちょっと不思議なことのように感じられるかもしれません。個人という単位では、まったく利得がないばかりか、損失が大きくなるかもしれない行動を、わざわざどうして、ドーパミンを分泌させてまでやらせるのか。自ら(ドーパミンを分泌させてまで)損失を被りたがる個体が出現することで、利益を得る人たちは誰なのか。

『シャーデンフロイデ 他人を引きずり下ろす快感』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

それは、その人を除いたすべての集団構成員です。

集団において「不謹慎なヒト」を攻撃するのは、その必要が高いためです。「不謹慎な誰か」を排除しなければ、集団全体が「不謹慎」つまり「ルールを逸脱した状態」に変容し、ひいては集団そのものが崩壊してしまう恐れが出てくる。

その前に、崩壊の引き金になりかねない「不謹慎なヒト」をつぶしておく必要があるのです。これは、すべての集団で起こり得る現象です。

結論を言えば、誰かを叩く行為というのは、本質的にはその集団を守ろうとする行動なのです。向社会性が高まった末の帰結と言えるかもしれません。

中野 信子 脳科学者

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なかの のぶこ / Nobuko Nakano

医学博士、認知科学者。1975年、東京都生まれ。東京大学工学部卒業。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所にて、博士研究員として勤務後、帰国。脳や心理学をテーマに研究や執筆の活動を精力的に行う。現在、東日本国際大学教授。著書に『脳内麻薬』『ヒトは「いじめ」をやめられない』『サイコパス』などがある。テレビ番組のコメンテーターとしても活動中。

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