佐々木俊尚「恥の多い人生こそかっこいい」 ナイキ創業者の失敗談が教えてくれること

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いま世の中にある経営者の自伝や自己啓発本は、「こうすれば成功する」という文言であふれています。でも本当にそうだろうか。数年前、あるコンサルタントから聞いて、なるほどと思ったことがあります。その人が言うには、「みんな、どうやったら売れるのかと答えを求めたがるけれど、絶対に売れる方法なんかない」と。あるとしたら、「これをやったら失敗する」という法則だけだと。つまりわれわれにできることは、失敗を避けるように努力することだけなんだということです。

それにもかかわらず、成功した経営者の多くは、「こうしたから私は成功した」と、まるで運命に導かれていたかのように、あるいは偶然の出来事が自分の力であったかのように錯覚して自分の体験を語ってしまう。私のよく知っている経営者の自伝を読んでも大抵そうです。

でも成功者も、本当はいろんな課題にぶつかるたびに、悩み苦しみ、あるいは単に周りに押し流されたりして、たくさんの分岐がある道を歩んできたはずなんです。振り返ったとき、あたかも成功への一本道があったかのように「見える」だけ。そんな後付けのきれいごとを鵜呑みにして、「そうか、こうすれば成功するのか」とまねしてみても、うまくいくケースはほとんどない。

その点、『シュードッグ』に描かれたフィル・ナイトの人生は、まねしようと思ってまねできるようなものではない。再現性はまったくない。あまりにリアルで、教訓めいたことがいっさい書かれていないのです。

お手軽な「カンフル剤」より「リアリティ」

多くの自己啓発本には、象徴的に言えば、「便所を掃除しろ」とか「靴を磨け」とか、どれも同じような教訓めいたことが書いてある。そのとおりやって成功するなら、世の中は成功者であふれていると思うんだけど、そうはなっていない。それなのになぜ人はそれを読むのか。社会学者の牧野智和氏は『日常に侵入する自己啓発』という著書で面白い指摘をしています。

結論から言えば、自己啓発本は一種のカンフル剤のようなもの。それを読むと何となく元気が出る。よしやってみようと思う。でも日々仕事をしているとだんだん疲れてきて、どうしていいかわからなくなる。そんなとき、また自己啓発本を手に取る。なんとなくやる気になる。前に読んだ本と、同じことが書いてあってもいいんです。「俺はトイレを掃除しているから大丈夫だ」と、自分の正しさを再確認できますから。要するに、そこにリアリティは求められていなかったのです。

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