北朝鮮は制裁を強化しても笑い続けている 制裁強化が体制強化につながっている事情

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しかし、北朝鮮経済における対外依存度は当時10%未満であり、貿易が急減したからといって北朝鮮経済を一気に崩壊させる直撃弾となったとするのは難しい。ただ、必要な物資を入手できなくなり、北朝鮮経済の循環構造に問題が生じたのは確かだ。旧ソ連から輸入していた石油や食料、原資材・副資材の不足は、公式経済部門の急激な弱体化を招いた。そのため、平壌祝典のために公式経済部門で動員されていた各種経済的ハードウエアは、正常に稼働しなかった。 

そこで、これを補完する作業が行われた。1992年7月に中央人民委員会政令として「貨幣交換措置」が発表された。北朝鮮当局は「貨幣制度を拡充し、貨幣流通を円滑にするため」と説明したが、実質的には新旧貨幣を1対1として交換限度を設定して非公式経済部門を縮小させると同時に、自らの財源を確保することが目的だったのは明らかだ。

また、国定価格・賃金の引き上げは、非公式経済部門を公式経済部門へ吸収する策でもあった。旧ソ連との経済交流が急減して不足した部分を、非公式部門から充当しようとしたのである。 

北朝鮮では1989年の平壌祝典を「体制を維持する一種の成功例」と見ているようだ。2008年8月に金正日総書記(2011年死亡)が脳卒中で倒れて以降の4カ月間、北朝鮮では金正恩・党委員長への後継作業が急ピッチで行われた。2009年1月から公式活動を始めた金正恩の最初の作品が2009年5月からの「150日戦闘」と、それに続く「100日戦闘」だった。 

この2つの大衆動員運動は、北朝鮮内部で利用可能な財源を総動員して公式経済部門を正常化させることを狙ったものだった。この期間中、北朝鮮の基幹産業が正常稼働されたという記事が「労働新聞」の一面を埋めていた。250日間の動員期間を決算し、北朝鮮は公式経済部門が正常化されたという結論を出した。 

不発に終わった2009年の貨幣交換

そして2009年11月30日、最高人民会議常任委員会政令として「貨幣交換」が実施される。市場経済への統制を強化してインフレ解消を狙い、同時に国家の財政能力を回復させるためだった。貨幣交換比率は100対1とし、交換限度は1世帯当たり最少額10万ウォンとした。また非生産職の労働者の賃金は貨幣交換前の水準を維持して彼らの賃金を実質的に100倍へと引き上げる一方、各種国定価格は市場価格水準に引き上げられた。これにより、非公式部門を公式部門へ吸収しようとしたのだった。 

これは平壌祝典を準備していた20年前と同じ作業といえる。しかし貨幣交換直後、北朝鮮住民の不満が出始めた。1989年当時とは比べられないほど広がった市場化を認識しないまま、物理的な動員とウソの実績報告に基づいて立案された貨幣交換措置は、北朝鮮住民の不満を爆発させた。市場で集まっていたカネを強制的に取り上げられた住民は、命を賭して強く抗議した。 

このため、北朝鮮は内閣総理(首相)が直接、平壌の人民班長らを集めて謝罪した。貨幣交換の限度を撤廃し、党財政部長の朴南基(パク・ナムギ)など実務陣を粛清した。結果的に非公式部門を公式部門へ吸収しようとする努力は水泡に帰し、市場経済はかえって拡散する結果を招いた。 

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