「西郷どん」は本当に立派な人物だったのか 2018年NHK大河主人公の「がっかりな実像」

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「さてさて残念な事をした。和尚(おしょう)独り死なして自分独り死に損ない、活きて居るのは残念至極だ。士の剣戟を用いずして身を投げるなどということは、女子のしそうなことで、誠に天下の人に対しても言い分がない。ただ和尚は法体のことであれば、剣戟を用いずして死んだ方が宜(よ)かろうという考えで投身したけれども、寧(むし)ろ死するならば、女子のなすようなまねをして自分独り活き残って面目次第もないと、歯咬(か)みなし涙を流して拙者に話した」(『重野安繹演説筆記』)

薩長史観では、西郷の偉業の前に、この入水は語るに値しないと見ているようだ。

だが、西郷の心には深い悔恨が残り、その屈折した感情の発露として、討幕へのさまざまな卑劣で残虐な行為を行ったと指摘することができるのではないだろうか。

「不犯」から「好色」に変心

西郷は「生涯不犯」、つまり一生涯女性と交わらないといっていたという。そのため月照とは「男色」であったという説もある。

だが、奄美大島に流されると、生き残ったことへの慙愧(ざんき)の涙を流す一方で、現地の女性との間に二児をもうけていた。また、沖永良部(おきのえらぶ)に再流罪になったとき、台湾へ密航して現地の女性に子を産ませたという伝承もある。

もちろん人間の心というものは変化するものである。初心を破ったからといって非難されることはない。

ところが、京都で活躍の場を見出すと、鹿児島に妻がありながら、幕末の志士にありがちな放蕩にふける。奈良屋というお茶屋の仲居のお虎と、祇園の川端井末の女将お末という、肥満した2人の女性を可愛がった。

だが、お末にふられた西郷はお虎に求愛、こちらはうまくいった。お虎は大きな女性で「豚姫」と渾名をつけられていたことが、勝海舟の『氷川清話』に載っている。

西郷は大女が好みだったようで、誰彼となく「お虎の体は最高でごわす」と惚気(のろけ)ていたという。これが土佐藩主の山内容堂の耳に入って、さんざんからかわれたとか。

一夫一妻の現代とは時代がまったく異なり、幕末の志士と称する面々はいずれも愛妾を囲っていたから、西郷だけをやり玉にあげるわけにはいかない。それにしても、「豚姫」の惚気は当時としてもいただけないものがある。

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