「西郷どん」は本当に立派な人物だったのか 2018年NHK大河主人公の「がっかりな実像」
「大政奉還」後、京都を去った幕府軍を挑発することを目的として、江戸を騒擾化するために薩摩藩士らを送り込んだのも西郷である。
彼らは「薩摩御用盗(ごようとう)」と恐れられるテロ集団をつくり、江戸市中で強盗・殺人・強姦・放火とあらゆる犯罪を行った。大店を次々に襲って、家人らを殺害し、大金を強奪し軍用金とした。江戸城の二の丸にも放火している。江戸の薩摩藩邸を根城にして悪逆非道の限りをつくしたのである。
薩摩の暴虐はここにきわまれり、と怒った勘定奉行の小栗忠順(ただまさ)は、庄内藩を中心にした幕府軍を編成して薩摩藩邸を焼き討ちにした。この知らせを聞いた西郷は興奮して「これで戦端開けたり」と語ったという。
やはり薩摩の暴虐に憤った大坂の幕府軍が鳥羽・伏見に進攻したとき、西郷は桐野利秋に命じて、最初の砲撃を加えさせた。まったく無益な戊辰戦争を始めたのが、西郷であったといってよいだろう。
江戸城無血開場で見捨てられた東北諸藩
江戸城の無血開城は、西郷の英断であるとされているが、そこには、新政府に逆らう藩を討伐することを黙認する約束が、勝海舟との間で結ばれていたのである。
勝は、江戸城を開城することで、東北方面で起こるであろう戦争を黙認したのである。それを知った福沢諭吉は、勝を糾弾している。
その後、東北・越後方面に舞台が移った戊辰戦争では、日本人同士の凄惨な殺戮が行われた。
天皇に忠誠を捧げ続けた会津藩は「賊軍」とおとしめられ、徹底的に蹂躙された。長岡(参考:反薩長の英雄「河井継之助」を知っていますか)や庄内(参考:幕末最強「庄内藩」無敗伝説を知っていますか)では奥羽越列藩同盟軍が善戦したものの、ほかの東北地方では「官軍」の一方的で残虐な行為が繰り広げられた。
それを惹起したのが西郷隆盛である。NHK大河ドラマ「西郷どん」がどのように都合よく西郷を描こうが、こうした事実は消えない。
庄内藩に対して寛大な措置をとったことがことさら賞揚されるが、それは以前の記事(幕末最強「庄内藩」無敗伝説を知っていますか)で紹介したような庄内側の努力があったからである。
西郷は「敬天愛人」を唱えていたというが、それとは裏腹な「汚天殺人」を実行した人物であったといわれてもしかたないであろう。
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