悪しき体育会から脱却、日体大野球部の躍進 37年ぶりの日本一に導いた古城監督の改革

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春のリーグ戦は4位に終わった。4年生のレギュラー陣が結果を出せず、下級生に頼ってしまった。シーズン終了後のミーティングで、前川は「本気で勝ちたいヤツだけ集まろう。このチームで日本一になる気がないなら、辞めていい」と仲間を突き放した。選手を続けたかったのに、グランドマネジャーを引き受けてチームのために働いている。そんな前川の檄(げき)を受け、選手たちの目の色が変わった。9月には相曽幸宏さん(1年・帝京出身)が髄膜炎のため急死する不幸があったが、部員たちは悲しみを乗り越え、日本一へと歩んでいった。

11月15日、明治神宮大会決勝の星槎道都大戦。味方が3点リードで9回の守備に就いているとき、前川は3塁側のベンチでスコアブックを手に目を潤ませていた。「4年生が自分の言うことを理解してくれて、一生懸命やってくれた。感謝しないといけないな」。試合が終わると、左手で顔を覆い、肩を震わせて泣いた。その後、古城監督、主将の濱村和人(4年、長崎・海星出身)に続いて仲間たちの手で胴上げされた。

「本当に報われました。言葉にできないくらい、うれしかったです」。前川は笑顔で振り返った。

チームを良くするための「コピー&インプルーブ」

日本一になってから、約1カ月が経った。古城監督は歓喜の瞬間を思い返しながら、「実は、達成感はほとんどなかったんですよ」と明かした。
「もう少しこうした方がよかったという点もあった。何より、日本一になることだけを目標にしているわけではない。来春に向けて『勝ちに行く』というよりも、『もっといいチームにしていく』ということの方が大きいですね」

日体大野球場。神奈川県横浜市・日体大の健志台キャンパスにて(撮影:宮城風子)

帝京大ラグビー部の岩出監督をはじめ、数多くの指導者から学んできた。野球の厳しさは筒井崇護前監督から叩き込まれた。戦術面では、高校野球の名コーチとして知られる横浜高校元部長の小倉清一郎氏から教えを受けた。2012年秋に明治神宮大会で日本一になった桐蔭横浜大の齊藤博久監督を訪ね、練習を選手に任せる仕組みを作った。

いいところは真似して取り入れ、改良・改善していく。この「コピー&インプルーブ」という考え方自体も、法政大アメリカンフットボール部の安田秀一監督から教わったものだという。

「これからもやるべきことをやって、しっかりしたチームの土台を作りたい。もっともっとよくできる」と古城監督は言葉に力を込める。他の指導者から学び、改革を続ける。古城監督の姿勢はこれからも変わらない。

(文中一部敬称略)
佐伯 要 スポーツライター

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さえき かなめ / Kaname Saeki

和歌山県出身。スポーツメーカー勤務を経て、フリーライターとして活動。『週刊ベースボール』『大学野球』『ベースボール・クリニック』(以上ベースボール・マガジン社)などの野球専門誌を中心に執筆。

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