悪しき体育会から脱却、日体大野球部の躍進 37年ぶりの日本一に導いた古城監督の改革

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こうした「体育会イノベーション」の取り組みは、2016年春に6季ぶり22度目のリーグ優勝という形で芽を出した。そして、導入2年目の今秋に大学日本一という花を咲かせた。「導入1年目の4年生はよくやってくれた。それを見習って、今年の4年生が同じようにやってくれた」と古城監督は顔をほころばせた。

チームを陰で支えたグランドマネジャーの存在

今年のチームを支えた一人が、前川紀洋(4年・徳島商出身)だ。前川は選手ではない。練習のメニューの作成や運営などを担当するグランドマネジャーを務め、試合では記録係としてベンチに入った。

前川は徳島商では1年夏に甲子園に出場し、2年秋からは主将を務めた。スポーツ推薦で日体大へ入学。3年秋のリーグ戦までは外野手としてプレーし、「4年生になったら主将としてチームを引っ張ろう」と考えていた。

古城監督はそんな前川を「真面目で努力家。チームのために自分を犠牲にしてくれる」と評していた。2016年秋、新チームの結成にあたり、「前川がグランドマネジャーになって『こうしよう』と言えば、みんながついていく」と考えた。古城監督は前川に打診するために、監督室に呼んだ。

古城監督に呼ばれた前川は「主将をやれという話だろう」と思い、監督室に入った。そこでグランドマネジャーへの転身を持ちかけられ、「頭が真っ白になった」という。グランドマネジャーになるということは、選手を辞めるということでもある。気持ちの整理がつかず、その場では「少し時間をください」と答えるのがやっとだった。

その日、前川は両親に電話して相談した。こみ上げてくるものを抑えきれず、電話口で泣いた。父・太さんからは「責任ある立場を任せてくれる古城監督の思いを大切にしなさい」とアドバイスされた。

後日、新チームの方針を固めるミーティングが開かれた。そこで古城監督は「絶対に日本一になるぞ。どれだけ本気になれる人間がいるかでチームは変わる」と言った。この言葉を聞き、前川は引き受けることを決意した。「自分が野球をやりたいという気持ち以上に、古城監督をはじめコーチ陣やチームメートたちと日本一になりたいという気持ちがありました」と前川。グランドマネジャー就任のあいさつでは、「日本一になるためにこの道を選んだ。みんなでいっしょに頑張ろう」と話した。

前川紀洋グランドマネジャーは絶対に日本一になるという信念のもと、突き進んだ(撮影:宮城風子)

2017年の春頃には、寮の清掃がきちんとできていなかったり、練習中に4年生が引っ張る姿が見えなかったりしたことがあった。前川は仲間に厳しい声を掛け続けた。

前川は自分の性格を「気が弱く、人にどう思われているか気にするタイプ」だと言う。それでも「日本一になるためだ」と、嫌われ役に徹した。

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