ファーストレディ務めた元女優の意外な経歴 鳩山由紀夫を支える妻の華麗な立ち振る舞い
「印象というのはあんまりなくて、細くて背の高いひょろひょろとした人」(幸さん)
するとその数日後、幸さんの身に次々と不思議なことが起こる。幸さんがアメリカに戻る飛行機に乗ると、何とそこには渡米する由紀夫さんが。偶然同じ飛行機に乗り合わせたのだった。
その後2人は会わないまま1年半の月日が流れた。その間、幸さんは夫と価値観のズレから亀裂が生じ、離婚を前提に別居生活を開始する。
由紀夫さんは同じアメリカとはいえ、幸さんの家からは50kmも離れた場所に住んでいたが、そんなある日、またしても幸さんの身に不思議な出来事が起こる。
「どうも鳩山です」(由紀夫さん)
偶然、幸さんが住む町に買い物に来ていたのだという。それにしても、の偶然に驚く2人。その頃、幸さんは夫と価値観のズレから亀裂が生じ別居、そして離婚が成立。幸さんは1人で暮らしていたが、毎週末、鳩山さんが50km離れたスタンフォードから通ってくるようになった。
「毎週末に来ることになって……もう家賃もったいないし一緒に住みましょうみたいな……」(幸さん)
幸さんの家に由紀夫さんが転がり込む形で、2人のルームメート生活が始まった。そして、由紀夫さんが大学を卒業した1975年、幸さんは2回目の結婚へ。週刊誌には幸さんが一方的にアプローチした「不倫略奪婚」と報じられていたが、実は一方的に熱を上げたのは由紀夫さんのほうだった。
ただ、結婚した後にも新たな課題が持ち上がる。幸さんが嫁いだのは超名門の鳩山家。その家を実質取り仕切りゴッドマザーとまでいわれていたのが由紀夫さんの母・安子さんだった。安子さんはブリヂストンの創始者である石橋正二郎氏の長女だ。
義母は100%すばらしい人でした
そんな2人の間で不仲説がうわさされる。
実際、アメリカで挙げた結婚式の参列者は、名門鳩山家からは母・安子さん1人が出席しただけで、ほかはゼロ。実は当時、幸さんはあらぬ「不倫略奪婚報道」を取りざたされ心を痛めていた。
「反対の声もあったと思いますよ。ブラックメールというのでしょうか。私の悪いことを書いた手紙が……よく義母のところにいって……」(幸さん)
なんと、幸さんへの誹謗中傷の手紙が鳩山の実家にまで届いていた。手紙を見た安子さんは、「あることないこと書いて、バカな手紙ね! おかしくなっちゃう」「一応そっちに送るから見たら捨ててね」(安子さん)と笑い飛ばす。
義母・安子さんも名家に嫁いだ身、幸さんの気持ちを誰よりも理解してくれていた。
「ハハハハって笑ってたし、義母はそういうのは全然気にしないので。本当に100%すばらしい人でした」(幸さん)
実はアメリカの結婚式も、由紀夫さんの父や弟は議会のため出席できなかっただけ。「鳩山幸vs.ゴッドマザー安子」。嫁姑不仲説はまったくのデマだった。