仮設住宅での40代孤独死、なぜ防げないのか 福祉とのつながり欠く、安否確認活動の限界
午後5時過ぎ、シズエさんの携帯電話に警察と地域包括支援センターからたて続けに電話が入った。シズエさんはこの時、アヤさんが亡くなっていたことを知らされた。
後でわかったことだが、死後3週間が経過していた。
仮設住宅の一室で何が……
「あの時に、市役所がもう少し動いてくれていれば……」
シズエさんは今も市役所の対応に割り切れない思いを感じている。一方で「自分でも、もっと何かできなかったのかという思いもある」という。
「あの時」とは、「ガスを止められている」と知った5月末だった。
仮設住宅の各戸にはプロパンガスが引かれており、住民は使用料を払わなければならない。料金の滞納が続けば、やがては供給を打ち切られる。
「アヤさんがガスを止められている」。かつて同じ仮設住宅で暮らしていてアヤさんとは震災前からの旧知の間柄だった幸子さん(仮名)から、シズエさんはそのことを知らされた。この時、幸子さんはスーパーで弁当を買ってきて、シズエさんと一緒にアヤさんに届けた。弁当であれば、加熱調理の必要がないとの判断からだった。
その時のアヤさんの様子を、シズエさんは今も鮮明に覚えている。何度も戸を叩くと、起きぬけで髪の毛もぼさぼさのアヤさんが顔を出した。
「私はあんたが小さい時から知っているんだから、何か困ったことがあったら遠慮無く言ってちょうだい」と幸子さん。
だが、アヤさんは「構わないでください」と言うばかりだった。「ここ(仮設住宅)を出なくてごめんなさい」。アヤさんはそう話すや、すすり泣き始めた。
実はこの時も、シズエさんは地域包括支援センターにSOSの電話を入れていた。「仮設住宅に住む女の人がガスを止められて困窮しています。何とかしてやってください」。
電話を受けた地域包括支援センターは、仮設住宅の見守りを担当するサポートセンターに話をつないだ。しかしサポートセンターの職員はアヤさんに会うことができないまま、1カ月が過ぎてしまった。アヤさんが変わり果てた姿で見つかったのは、それから間もなくのことだった。
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