自民党は末期的症候群 「パンと見せ物」の政治だ--片山善博・慶應義塾大学教授

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自民党は末期的症候群 「パンと見せ物」の政治だ--片山善博・慶應義塾大学教授

--福田首相の辞任表明をどう受け止めましたか。

わが国の政治史を振り返ると、リーダーの突然の交代は、政治の末期的症候群の一つとして、ある時期には頻繁に起きていました。

たとえば、江戸時代には5~6人の老中による集団指導体制が敷かれていましたが、幕末期の平均在任期間はせいぜい1年半しかなかった。江戸時代初期は10年、20年やっていましたが、ペリーの来航後、極端に短くなった。満州事変が起きたのは1931年。ここから太平洋戦争終戦の45年までの首相の平均在任期間はわずか10カ月程度。幕末期や終戦前という難局のときほど、政権が短命なのです。小泉政権の5年半を除けば、最近も1年強。福田首相の在任期間も実は平均的です。

--世界を見渡すと、異常に見えますが……。

原因は人材不足でしょう。時代が閉塞状況になる中で、人材が極端に薄くなっている。一方、時代の末期ですから課題は深くて大きい。つまり反比例の関係です。軽量級の指導者が出ては消え、出ては消えという末期的症状です。

--福田政権が短命に終わった原因はどこにあるとお考えですか。

福田内閣は、誕生したときから、ミッションがまったく感じられなかった。小泉純一郎元首相の場合は、郵政民営化一辺倒という点でちょっと歪んでいたけれども、ミッションがあったので少々のことではへこたれない。福田首相は、何をいつまでに実現しようというスケジュールもなければ意欲もなかった。そうすると年金問題に象徴されるように、状況対応型にならざるをえない。

--それが、政権投げ出しにつながったというわけですね。

ミッションがないと、途中で嫌気が差しますよ。本人なりに一生懸命やっていても、いかんせんうまくいかない。そうすると周りから批判ばかり出てくる。何でこんなに悪口を言われなければならないんだと思いたくなる。そしてばかばかしいからやめよう、となる。福田首相はその典型だと思います。

よく似ているのが最後の将軍の徳川慶喜です。慶喜が大坂(当時)に陣取っていたときに、京都の近郊で鳥羽伏見の戦いが起きた。ところが、ちょっと劣勢になった途端、慶喜は兵を置き去りにしたまま、数人で江戸に逃げ帰ってしまった。そして、上野の寛永寺にこもって、ぶるぶる震えていたというんです。そして、もう私は降りたほうがいいだろうと、官軍に恭順の意を示した。

安倍晋三前首相も福田首相も、内閣改造まで行っています。しかし、人気が上がらなかった。戦う姿勢は示したが、ちょっとした挫折で退陣した。2人は慶喜によく似ています。

--国民の反応をどう見ますか。

国民の側にも末期的症候群が見られます。今、日本は多事多難ですよ。たとえば経済問題。財政は破綻への道を歩みつつある。また、拉致問題、核問題を含めて、朝鮮半島情勢が緊迫の度合いを強めている。対米、対中関係など、幾多の重要課題も抱えています。一国のリーダーが辞めるのは大変なことです。今まで積み重ねてきた外交努力がふいになる可能性もある。しかし、国民の側もさほど深刻に受け止めていない。

1930年代の日本では、国運を懸けて対外戦争を続けているときにも、総理大臣が次から次へと替わった。そして、最後にはアメリカとの全面戦争に突入していった。

現在も状況は深刻です。2代続けて途中で投げ出すリーダーしか出せない政党には、国民はノーを突き付けるべき。ところがかわりの人が出てくると、たちまち支持率が上がったりする。こういう現象は異様です。

古代ローマは、「パンと見せ物の政治」に堕落しました。今の日本もよく似ています。福田首相も退陣すると内心で決めてから、定額減税を表明しました。定額減税はまさに「パン」であり、その場しのぎの1年限り。国民の歓心を買うために、「はい、パンをあげましょう」というのが、今の与党の政治です。

自民党総裁選の本質は権力闘争のはずです。それをテレビのワイドショーが連日連夜取り上げ、国民にとっては暇つぶしの大衆娯楽になっている。だから、今の自民党は懸命に興行を盛り上げようとしています。候補者をたくさん出して、徹底的に戦っている印象を与えようとしていますが、しょせんは見せ物。本来はコンテンツで競うべきところを、とりあえずは華々しさで興行成績を上げようとしている。

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