ナイキ創業者の「破天荒すぎる人材活用」伝説 元ナイキジャパン社長「あれには僕も驚いた」
それにフィルは野球チームに入れてもらえなかったり、夢だった偉大な陸上選手になれなかったりと、コンプレックスがある。彼には負け犬的なところがあり、決してカリスマ的リーダーではなかった。
自分にも他人にも「背水の陣」を強いる
――秋元さんが感じた、フィル・ナイトの人物像は?
「いい人」ではないですね。ナイスガイですが(笑)。風貌がかっこいいわけではなく、洋服がおしゃれでもなく、いつもギャバジンのグリーンのスーツを着ている。グリーンというのは、彼にとって意味のある色だったんですね。1962年に初めてオニツカを訪れたときにグリーンのギャバジンスーツを着て行ったという『シュードッグ』の記述を見て、そうだったのか!と思いました。
フィルの性格は内向的でシャイ。だから、自分の目線がばれないように、いつもオークリーのサングラスをかけている。彼は非常に読書家で、僕も本が好きなので話が合いました。彼は特に『孫子』が好きで、自分にも他人にもいつも「背水の陣」を強いていた。追い込まれるほうはきつかったですよ(笑)。
あるとき、フィルがすごくいい感じで話しかけてきて、「実は以前、ロン・ネルソンに約束しちゃったんだ。秋元が2年社長をやったら、次の日本の社長はお前だと。秋元、ナイキジャパンの経験を活かして次は香港かベトナムに行って、どちらでもいいから社長をやらないか」と。
これは寝耳に水の話で、正直なところ、ショックでした。ナイキジャパンでは僕も社員も禁煙を貫き、体も鍛えて、社員と一緒にホノルルマラソンにも出ました。ナイキジャパンの「ナイキ化」はある程度成功したと思っていました。それに、当時Jリーグができたころで、サッカー選手にナイキを身につけてもらおうと頑張っていましたし、野茂英雄選手をアメリカの本社に紹介して、JUST DO IT.キャンペーンを盛り上げたりしていました。大変でしたが、楽しかったですから。
ちなみにロン・ネルソンは『シュードッグ』にも登場します。フィルがアパレル部門の責任者として抜擢したのに、服装のセンスをまったく持ち合わせていなくて、たった1回プレゼンしただけで製造部門に移動させられたという(笑)。彼が僕の後任の社長でした。まさか、そんな密約のせいでナイキジャパンを去るとは、思ってもみなかったですね。
ナイキを辞めた後、私はLVMHグループのゲラン株式会社の社長になりました。しばらくして、パリでゲランの新香水「シャンゼリゼ」を紹介する、1週間にもわたるビッグイベントがありました。ゲラン日本法人の社長として、パリで最高級のホテルの1つであるホテル・ド・クリヨンに泊まっていたら、そこでフィルと再会したんです。彼は、テニス観戦が趣味で、フレンチオープンを観戦しに来ていました。
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