カタルーニャの未来はスロベニアとは異なる プチデモン州首相はモデルケースとするが

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1989年に入ると、ドイツでベルリンの壁が崩壊し、ルーマニアでもニコラエ・チャウシェスク政権が崩壊するなど、共産主義体制が次々と倒れていった。こうした東欧革命の波はユーゴスラビアにも程なく押し寄せた。

スロベニアでは1980年代後半に民主化や独立を求める運動が激化した。1989年の憲法改正を経て、1990年4月に第2次世界大戦後で初の普通選挙が行われ、民主化や自由化を進め、ユーゴスラビアからの独立を志向する政権が誕生した。緩やかな連邦制への移行提案などが頓挫した後、同年12月にユーゴスラビアからの独立の是非を問う住民投票が行われ、有権者の93.5%が投票し、有効票の実に95.7%(有権者の88.5%)が独立に賛成票を投じた。

投票から6カ月後の1991年6月にスロベニアは隣国クロアチアとともにユーゴスラビアからの独立宣言に踏み切った。独立に反対するユーゴスラビアは連邦軍をスロベニアに派兵。スロベニア防衛軍との間で散発的な戦闘が行われ、75人の犠牲者を出した。これは十日間戦争と呼ばれ、その後のユーゴスラビア紛争の幕開けとなった。

ユーゴスラビア連邦軍は10日で撤退し、スロベニアも独立に向けた動きを3カ月凍結することで同意した。その後、スロベニアは独自通貨の発行を開始し、同年12月には新たな憲法を制定し、独立に向けた動きを着々と進めた。1992年1月にはドイツや欧州経済共同体(EEC)もスロベニアを国家承認した。国際社会の後押しもあり、1992年5月にスロベニアは国連加盟を果たした。

カタルーニャの民族主義に火がついたきっかけ

このようにスロベニアがユーゴスラビアから独立を果たした経緯は、カタルーニャのスペインからの独立に向けた動きと酷似する。かつて地中海の覇者として君臨したカタルーニャ・アラゴン連合王国があった土地では、今もカスティーリャ王国のそれとは異なる独自の文化や言語が息づいている。ただ、カタルーニャで自治拡大や独立を求める声がこれほど活発化したのは比較的最近のことで、2010年ころが転機になったといわれている。

独自の文化を持つカタルーニャ州はその歴史的な経緯もあり、広範な自治が認められている。自治の具体的な内容は各州とスペイン政府が結ぶ自治憲章で定められており、カタルーニャでは2006年に1979年の民政移管後で初めての改正が実現した。だが、スペインの現与党で、自治拡大に批判的な国民党の訴えに基づき、憲法裁判所は2010年に、この2006年のカタルーニャ自治憲章が違憲であるとの判決を下した。これをきっかけにカタルーニャの民族主義に火がついた。

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