離婚すればバラ色に見える人生の提案がいくつもあったそうです。しかし母親がいることが当たり前の子どもを裏切り、待ったなしに続くその世話を中断することなど、命に代えてもできなかったそうです。結果としてその母親としての責任感が、ブレーキになりました。
その後の健全な子どもの成長と親子関係に彼女は満足しており、誘惑に負けなくて正解だったと述懐しています。我慢や犠牲が美徳だとは申しませんが、産んだ者の責任として、健やかに育てる努力義務があるのです。産むだけでは母性は備わらないのです。
他人の目でなく、自分の納得感を大切にしよう
人間関係にある程度の形式は、潤滑油です。しかしそれも過ぎると、茶番劇です。ゼラニウム様、隠し通せてもやって良いことと悪いことがあります。多感な子どもを前にして、不特定多数との不倫を母親が居直るということは、“母親の責任感”の観点で見れば、決して容認してはいけないことです。
母上のあなたたちへの愛情や責任感は、人並み以下だと言わざるをえません。赤ちゃんを抱っこされるのも嫌なそんな人に、盆正月だけでも会わせに行くのは、なぜですか?
ゼラニウム様、他人の目を気にし、他人の尺度でご自分の生活を制約するべきではありません。どのような生き方が納得いくものか、ご自分の内面を深く見つめて決めるべきです。母娘だからと、何が何でも許す必要はありません。心を伴わない形式的な生き方は、子どもの養育者としても感心できません。
あなたの娘を、祖母である母上に会わせないことに、何ら引け目を感じる必要はありません。ボーヴォワールではありませんが、祖母になれば皆が、孫を愛しがるとは限りません。不特定多数の人との浮気をやめないのがその証拠です。
その母上を許容するにしても絶交するにしても、他人の目ではなくあなた自身で考え、納得しないと、一貫した行動をとることもできませんよ。今の決断が、永遠の決断でなくてもいいのです。将来、時が来ればお互いの考え方も変わっているかもしれません。
他人の目を気にして無理に行動するのではなく、ご自身で考えた、今の納得感を大切にご判断ください。
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