21. ベルギー、オランダ、イタリア、西ドイツ(旧)の各所を回りコース作り、付帯設備、レース運営等を学んだ
22. その後、塩崎はオランダのザンドフルート・サーキット支配人だったジョン・フーゲンホルツを鈴鹿に招へい
23. コースの詳細設計を依頼されたフーゲンホルツはマムシの出るなか鈴鹿山中を視察し施工全体に助言する
24. 彼の一番のアドバイスは、〈片方のタイヤだけがすり減るのを防ぐため立体交差を作り8の字にする〉こと
25. また塩崎案ではパドック裏手にヘアピンがあったが、フーゲンホルツは「場内放送が聞き取れない」と却下
26. 塩崎は土木工事よりも施設建設に費用を充てるため、極力土砂を削らずに建設できる設計を心掛けたという
27. 設計案が5稿まで進行するにつれ〈行きはテクニカル、帰りは高速で戻る〉というレイアウトが完成した
28. 鈴鹿サーキットは〈完全舗装〉を標榜していたが、当時の日本では高速道路すらまだ整備されていなかった
29. ゆえに塩崎らは欧州視察の際、現地サーキットの舗装を靴ベラで削りとり、参考資料として日本に持ち帰った
30. さらにフーゲンホルツは各地サーキットの走行路の路面舗装を〈円柱状〉にくりぬいたサンプルを提供
8の字形のレイアウトは世界でも珍しい
31. 削った舗装表面のみならず層として知ることで、特殊サーキット舗装の構造を真に理解させるためだった
32. 舗装を請け負った日本舗装(現NIPPO)はオーバルテストコースの経験はあったがロードコースは未経験
33. 日本舗装のスタッフは視察団から提供された欧州の路面材料を分析しながら、日本各地の川砂を研究した
34. その結果、〈木曽川〉の雑岩を中心としたものに決定。しかしその集積には約6か月を費やしたという
35. 鈴鹿の〈舗装〉は注目を浴び、当時、一部工事が始まっていた名神高速道路の工事関係者も見学に訪れた
36. 1962年9月、ついに鈴鹿サーキットが完成。11月には「第1回全日本選手権ロードレース」が開催された
37. 鈴鹿サーキットのオープニングレースとして開催されたこの大会は本格的なロードコースでの二輪レース
38. 初日は雨にたたられたものの、鈴鹿サーキット初のレースはアクシデントなくスムーズに進行した
39. 鈴鹿サーキットのコースの特長は、東西に細長く、中間の立体交差を挟み右回りと左回りに入れ替わること
40. この〈8の字形〉のレイアウトは世界でも珍しく、土地の高低差と低速~高速コーナーのバランスも絶妙
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