「夏目漱石」の真実をどれだけ知っていますか

ロマンを浪漫と意訳した作家の蘊蓄100章

41. 「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に掉させば流される…」の有名な書き出しで始まる『草枕』は、熊本で友人と旅した小天温泉が舞台となっている

42. 1907年、教師を辞め、朝日新聞社に専属作家として入社。入社1作目として執筆したのが『虞美人草』

43. 1908年からは「前期三部作」と呼ばれる『三四郎』『それから』『門』を発表

44. 『門』の題名は、連載開始を目前にして門下生の森田草平にタイトル決めを一任。困った森田ら弟子がたまたま開いた本『ツァラトゥストラかく語りき』のページにあった言葉「門」になった

45. 43歳のとき胃潰瘍となり療養先の修善寺温泉(静岡県伊豆市)で一時危篤状態に陥り、仲間や弟子が駆けつける騒ぎとなった。いわゆる「修善寺の大患」

46. 「修善寺の大患」前後のことを随筆として書き記したのが『思い出す事など』

47. この後、「後期三部作」となる『行人』『彼岸過迄』『こころ』を執筆

48. 1915年発表の『道草』は漱石初の自伝的小説

49. 1916年12月9日に胃潰瘍による腹部の大内出血により自宅で死去。享年49

50. 朝日新聞連載中だった『明暗』は、漱石の死により未完に終わった

独自の創作を貫き続けた「余裕派」

51. 漱石の葬式の受付係を務めたのは芥川龍之介

52. 夏目漱石の墓は雑司ヶ谷霊園にあり、誰でも参拝することができる。戒名は「文献院古道漱石居士」

53. 「則天去私」は漱石が晩年に理想とした境地。私心を捨て、身を天地自然に委ねて生きるという漱石自身の造語

54. 文壇の派閥に属さず、独自の創作を貫き続けた漱石は「余裕派」と呼ばれた

55. 英国から帰国後、3年間住んだ文京区向丘の家は『吾輩は猫である』の舞台であり『坊っちゃん』『倫敦塔』『草枕』の名作が生まれた漱石文学発祥の地

夏目漱石旧居跡(写真:髙橋義雄 / PIXTA)

56. 「猫の家」とも呼ばれたこの旧居跡に置かれた碑の題字は川端康成筆。近くの塀には猫の像も設置されている

57. 旧居の建物は現在愛知県犬山市の「博物館明治村」に移築・保存されている

58. 朝日新聞入社後、新宿区早稲田南町に転居、「漱石山房」と呼ばれた家で晩年の9年を過ごし、終の棲家となった

59「漱石山房」では、毎週木曜日に漱石との面会時間が設けられ、「木曜会」と呼ばれた。木曜会は文学サロンの側面をもち、芥川龍之介、内田百閒、菊池寛などが集った

60. 門下生たちは漱石の死後も親交を持ち続け、命日である12月9日にちなみ毎月9日に「九日会」を開催した

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