日本人にとって「天皇制」は何を意味するのか 「ポピュリズム」に対抗する政治的エネルギー
1968年1月の空母エンタープライズ号寄港阻止闘争における三派系全学連のいでたちはそれと知らずに「過去の亡霊たち」を呼び出し、その助力を求め、その「闘いのスローガン」と「衣装」を借りていた。限定的な課題についての、地域的な政治闘争が「世界史的な場面」に転換するためには、そのような仕掛けが必要なのだ。そのことを無意識のうちに直感したがゆえに、この学生たちの闘いはそれからあと3年にわたって、日本中の大学高校を深い混乱のうちにたたき込むだけの政治的実力を持ち得たのである。
そのような政治的意匠の働きを勘定に入れれば、三島由紀夫が佐世保闘争の1年後に、全共闘の学生たちに向かって、「天皇という言葉を一言彼等が言えば、私は喜んで一緒にとじこもったであろうし、喜んで一緒にやったと思う」と言ったのは決して唐突なことではなかったのである。
「憂国の熱情」と政治的エネルギー
東大全共闘の学生の一人はこのとき、三島が『英霊の聲』などの作品を通じて天皇を美的表象として完結させようとしながら、その一方では、自衛隊に体験入隊したり、楯の会を結成したりして、世俗的な天皇主義者的な振る舞いをすることの首尾一貫性のなさを難じた。あなたは美的な天皇主義者なのか、それとも世俗的な天皇主義者なのかどちらなのかという鋭い指摘に三島は笑顔でこう応じた。
三島のこの発言を学生たちはジョークだと受け取り、会場は笑いに包まれた。すると、一人の学生がいらだって「まじめに話せよ、まじめに!」と三島に食ってかかった。三島はやや色をなして、こう一喝した。
三島と全共闘との「対話」は事実上ここで終わる。あとの天皇をめぐる思弁的な議論はつまびらかにするに足りない。それでも集会の最後に三島が語った言葉はやはり傾聴に値する。
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