日本人にとって「天皇制」は何を意味するのか 「ポピュリズム」に対抗する政治的エネルギー
政治はもともと「常民」にとっては無縁のものである。外交条約の適否より「明日の米びつ」を心配するのが「常民」の真骨頂であり、そう言ってよければ、彼らの批評性の核心である。この批評性の前に一歩も退かない政治思想しかほんとうに社会を変えることはできない。
未完の本土決戦の幻影
60年安保のときには少なからぬ非政治的な市民たちが政治化した。それを岸内閣の政権運営の粗雑さだけで説明することはできない。市民たちが立ち上がったのは、学生たちの「反米愛国」のうねりの彼方に「戦われずに終わった本土決戦」の残影を幻視したからである。
なぜ私がそんな危ういことを断言できるかと言えば、1968年の1月の佐世保での空母エンタープライズ号寄港阻止闘争のニュース映像をテレビで見たときに、17歳の私もそれに似たものを感じたことがあるからである。
テレビカメラが映し出していたのは、ヘルメットにゲバ棒で「武装」し、自治会旗を掲げた数千の三派系全学連学生たちの姿だった。私はその映像に足が震えるほどの興奮を覚えた。佐世保の現場と私のいる東京の家のリビングルームが「地続き」だということが私には直感された。それはヘルメットが「兜(かぶと)」で、そこに書かれた党派名が「前立て」で、ゲバ棒が「槍(やり)」で、自治会旗が「旗指物」だったからである。佐世保の学生たちは、ペリー提督率いる「黒船」襲来のときに先祖伝来の甲冑(かっちゅう)をまとい、槍と旗指物を掲げて東京湾岸に駆け付けた「侍」たちのスタイルをそれと知らずに再演してみせたのである。
カール・マルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール一八日』にこう書いている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら