37年ぶりV2の広島カープ、今年も勝てた理由

前田、黒田が去っても連覇できたのはなぜか

1980年に活躍した主な投手は先発が福士敬章15勝、山根和夫14勝、北別府学12勝、池谷公二郎9勝。中継ぎの大野豊が7勝し、ストッパーの江夏豊が9勝21セーブを挙げた。

今年と決定的に違うのは絶対的な守護神の存在だ。孤高の左腕は阪神から南海(現ソフトバンク)に出されて野村克也監督と出会い、「野球界に革命を起こそう」と説得されて抑えというポジションを確立した。野村解任に伴って広島に新天地を求めた。

球史に残る「江夏の21球」が残した伏線

移籍2年目の1979年に9勝5敗22セーブ、防御率2・66でカープ4年ぶりの優勝に貢献。最優秀救援投手賞とともにMVPに選ばれた。近鉄との日本シリーズでは3勝3敗で迎えた第7戦、1点差の9回無死満塁のピンチを切り抜けた「江夏の21球」は今も語り継がれている。

1980年も9勝6敗21セーブ、防御率2・62の好成績でV2に貢献。2年連続最優秀救援投手賞に輝いたが、そのオフ、日本ハムの高橋直樹との交換トレードで広島を去って行った。

伏線は「江夏の21球」にあった。4―3で迎えた9回。ヒット、盗塁、捕手の二塁悪送球が重なって無死満塁のピンチを迎えたときだ。古葉竹識監督は延長戦に備え、池谷公二郎と北別府学の2人をブルペンに走らせた。

それを目の端に留めた江夏は「俺が投げとるのに、なんで2人も行かせるんや。投げる気がせん」と激高。ただならぬ雰囲気を察した衣笠祥雄は一塁からマウンドに足を運び、「ベンチは先のことを考えてやっとるんだろう。おまえが辞めるんだったら俺も辞めるから」となだめた。

気を取り直した江夏は代打・佐々木恭介を三振に取った。1死。続く石渡茂の1ストライクからの2球目だった。三塁走者の動きからスクイズを察した捕手の水沼四郎が立ち上がると、江夏はカーブの握りのまま、外角高めに外した。石渡のバットは空を切り、三塁走者の藤瀬史朗を三本間で挟殺。最後は石渡を三振に取って歓喜の瞬間を迎えた。

絶体絶命のピンチを切り抜けての日本一。江夏にとってはリーグ優勝も日本一も初めてだったが、池谷と北別府をブルペンへ走らせた古葉監督へのわだかまりは消えなかった。

1980年の開幕直前、江夏は広島市民球場で古葉監督に「いい思い出をつくることができましたけど、今年でカープをやめて、また新しいチームに行きたいという気持ちになってきました」と伝えたという。シーズン後の決別を宣言しながら、V2に貢献。さすが仕事人である。

1981年、江夏は日本ハムの後期優勝に貢献。ロッテとのプレーオフも制してシーズンMVPに輝き、「優勝請負人」と呼ばれたが、絶対的守護神を失った広島は大野豊に抑えを託すが、優勝した巨人に6ゲーム差の2位に終わった。

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