労働分野の規制緩和、安定的雇用と応分の給与こそ企業の責務

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原則禁止から原則容認へ緩和

労働者派遣法の規制は、次のような経過をたどって緩和されてきた。

1985年12月、労働者派遣法制定。13業務のポジティブ(容認)リストを決める。96年6月、派遣対象を26業務に拡大(日付は制定時点)。

99年7月、製造業等を除き派遣対象業務制限を撤廃、ネガティブ(禁止業務)リスト化(原則禁止から原則容認への転換)。

直接雇用推進のため、「1年間の派遣を受けた派遣先事業主が引き続きその業務に労働者を従事させるために労働者を雇入れようとするときには、その業務に従事した派遣労働者で希望するものを雇用する」とした努力義務を定めた。しかし、企業に課せられた努力義務はほとんど守られず、厚労省も厳しい監視と指導を行わなかった。

03年6月、医療の一部と「物の製造業」への派遣を自由化。日雇い派遣も解禁した。

そもそも当初、労働者派遣は解禁リスト13業務に示されているように、ソフト開発、通訳、翻訳、速記など専門性を要求される仕事に限られていた。これらは仕事をこなせる専門性を持った人の数が限られており、それゆえ、派遣労働者が派遣先と比較的対等に近い立場に立つことが可能だった。これが解禁の理由となった。現に、このころは、派遣労働者の収入は相対的に高かった。

しかし、こうした法律の縛りは次々に緩められていく。その行き着いた先が日雇い派遣解禁だ。

こうした一連の規制緩和には経済界の強い要求があった。労務コストの上昇に苦しむ産業界は、日本経営者団体連盟(日経連、現日本経済団体連合会)を通じて、労働者派遣法改正を強く政府に要求した。その結果、「原則禁止・例外解禁」から「原則自由・例外禁止」へという規制緩和が進められていったのである。

派遣規制を緩めた結果、どのようなことが起こったか。極端にいえば、あらゆる非熟練・単純業務の非正規雇用化、派遣労働化である。

非熟練業務は簡単に代替がきくため、派遣先企業と派遣労働者の力の差は極めて大きく、企業側は自由に雇用条件を決められる。これこそ、非熟練労働の派遣が禁止されていた最大の理由だった。

とりわけ日雇いの解禁は、生活保護水準以下の低賃金、雇用の著しい不安定性、労働者への非人間的扱い、労災が多発する劣悪な労働環境などを派遣労働者に押し付けた。

日雇い派遣の現状は「戦前の手配師による人入れ稼業となんら変わらない」と、中央職業安定審議会元会長で労働者派遣法の生みの親ともいわれる高梨昌氏も嘆いている。

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