空飛ぶクルマ「ホンダジェット」世界一の裏側 快挙を支えた「技術屋の王国」の秘密
ジェットエンジンは、ホンダと巨人GEの共同開発だ。GEがホンダの小型ジェットエンジンに惚れ込み、奇跡の共同開発が実現したのだ。しかも、そのエンジンは、これまでタブーとされ、成功例がなかった主翼上面に搭載されているのだ。
ボーイングで当初バカにされる
「ホンダは無知だから、エンジンを翼の上に載せたんだ」というような、ネガティブなコメントが出されるのではないかと藤野氏は、心配した。実際、ボーイングの設備を借りてテストを始めると、ホンダが変なことをやっている、何であんなところにエンジンをつけているんだと、陰口をたたかれた。
しかしそのうち、「こいつらは、すごいんじゃないかとウワサが立ち始めて、4週間後には、あいつらすごいことをやっていると言われ始めたんですね」と言う。
2012年、藤野氏は独創的な主翼上面へのエンジン配置などによって、航空機業界のノーベル賞と言われるAIAA(米航空宇宙学会)の「エアクラフト・デザイン・アワード」を受賞した。
では、自動車メーカーのホンダが、なぜ世界一の小型ビジネスジェット機を開発することができたのか。
ホンダは、1986年、本田技術研究所内に秘密裡に設置した基礎技術研究センターで航空機開発をスタートした。①飛行機、②ロボット、③自動運転、④2分の1軽量車――の4つを基本的柱とし、センサーや生物などさまざまなテーマについて、基礎的な研究に取り組む秘密プロジェクトチームを立ち上げた。
飛行機開発は、当時大ヒット中だった乗用車の「シビック」に翼をつけたような飛行機、すなわち「シビックジェット」をコンセプトに、当時まだ世界に存在しなかったオールカーボンコンポジット(炭素繊維複合材)の機体、自動操縦、クルマのようにさっと乗りこんで裏庭から飛び立てるなどと、大風呂敷を広げた。「無謀」とも言える挑戦だ。
スタート時、エンジン開発チームは、二十数人だったが、機体開発チームはたった5人だった。いずれも、飛行機の製造経験はゼロだった。
実際、エンジンチームはすぐに、厳しい現実にぶち当たった。つくったエンジンは、回すと壊れることの繰り返しで、賽の河原状態が長く続いた。
機体チームも、米国の大学教授に教えを請い、ミシシッピ州立大学に拠点を構え、見よう見まねで製造を始めたが、カーボンコンポジットの加工技術が確立されていない時代だけに、ノコギリやヤスリを使って材料を削るところから取り組まざるを得なかった。
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