空飛ぶクルマ「ホンダジェット」世界一の裏側 快挙を支えた「技術屋の王国」の秘密

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しかも、技術者たちは、秘密プロジェクトのため、10年もの間、家族にすら自らの研究内容を口外することが許されなかった。

最難関は、米国におけるFAA(連邦航空局)の「型式証明」取得だった。ホンダジェットが、米国で型式証明を取得したのは2015年だ。開発を始めてから、30年の歳月が流れていた。

バブル崩壊、リーマン…危機を何度も乗り越える

しかし、ホンダの技術者は、飛行機をつくるという夢に向かって、幾多の壁をものともせず、情熱的に挑戦を続けた。

ホンダジェット設計者の藤野道格氏。現在はホンダエアクラフトカンパニー社長(撮影:片山 修)

藤野氏は、開発にとどまらず、ジェット機事業の実現に向けて社内を説得するため、あらゆる手を打った。そのため、“策士”と言われた。「“策士”でなきゃ、でっかい仕事なんかできねぇよ」と、元ホンダ社長で、飛行機開発を指示した張本人の川本信彦氏は弁護した。

壮絶な開発物語の中で、最大のピンチは経営危機だった。バブル崩壊、リーマン・ショックが起こるたびに、航空機プロジェクトは中止の危機にさらされた。しかし、ホンダは、長年にわたって、1円も利益をあげない航空機プロジェクトを継続した。

ホンダの歴代経営者はみな技術者出身だ。彼らの“技術魂”と、先端技術開発への執念を抜きには、その決断は考えられない。

とはいえ、2008年のリーマン・ショックのときには、プロジェクトの継続か、撤退かの厳しい決断を迫られた。経営幹部らは切迫した議論を繰り返した。

「正直、もう、いい引き際なんじゃないか」「やめるなら、いましかないぞ」

ホンダはこのときリーマン・ショックを受けてF1撤退、量産目前までこぎつけていた大型エンジンやその搭載車の開発中止、寄居工場の建設凍結などを次々と決断していた。普通の会社ならば、いまだ海のものとも山のものともわからない航空機事業からも、手を引いても不思議はなかった。

誤解を恐れずに言うならば、ホンダは、普通の会社ではなかった。自分たちの存在価値とは何で、どうあるべきか。つねに、自らの「絶対価値」を追究し続ける姿勢、すなわちホンダの“生き様”は、瀬戸際にあっても、ブレることはなかった。

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