民進党、どう転んでも「やはり明日はない」 「対決よりエール交換」の代表選はスルーされ

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前原氏55歳、枝野氏53歳と同世代で、大政党リーダーとしては「活力みなぎるミドルエージ」の両氏。代議士デビューは、保守合同後初の非自民政権誕生につながった1993年衆院選での細川護熙氏(元首相)が立ち上げた日本新党からの出馬、初当選だ。自民党の安倍晋三首相や岸田文雄政調会長らの同期生でもある。京大卒の前原氏は京都府議を、東北大卒の枝野氏は弁護士を経ての中央政界入りで、いずれも現在連続8回当選という"選挙強者"だ。1994年4月の細川政権崩壊後は共に新党さきがけに転じ、1998年4月の民主党結党に参画するなど政治経歴もうり二つだ。

国民的な"反自民"の盛り上がりを受けて2009年9月に誕生した民主党政権では、前原氏が国土交通相、外相、内閣府特命担当相を、枝野氏が内閣府特命相、官房長官、経済産業相をそれぞれ歴任するなど「内閣の骨格」を担い続けた。わずか3年3カ月での政権崩壊の"戦犯"として、今回代表選でも「昔の名前で出ています」と揶揄される原因だ。

「言うだけ番長」と「縁の下の力持ち」

さらに、党内派閥構図をみても、前原氏が会長を務める「凌雲会」(前原グループ)の幹事長が枝野氏であり、政治家としても「身内」とみられてきた。バカンスには夫人同伴で家族旅行を共に楽しみ、「前原さんは率先して奥方の荷物を持ち、車のドアも開ける愛妻家で、僕はそれができない恐妻家」(枝野氏)と言って笑い合う親友でもある。

永田町で鉄道マニアの「撮り鉄」と呼ばれる前原氏に、少年時代に合唱コンクールで優勝し「カラオケ大魔王」との異名を持つ枝野氏と、どちらもキャラの立った政治家同士。前原氏は告示前日の鉄道模型展に参加し、枝野氏は地方行脚の移動中に覚えるため、iPodに最新ヒット曲をダウンロードしたという。

ただ、理念や政策に基づく政治路線では両氏の違いが際立つ。わずか1年足らずでの蓮舫体制崩壊について前原氏は「1年ももたないとは考えもしなかった」と天を仰ぐが、枝野氏は「国会議員団がみんなで支持しようという意識が足りなかった」と冷静に分析する。「理念や理想を重視」する前原氏に比べ、枝野氏は「リアルな政治を追求」する現実重視派だ。松下政経塾出身で民主党時代に43歳の若さで党代表を務め、長身でイケメンのプリンスとして脚光を浴び続けてきた前原氏に対し、「容姿や運動神経では負ける」と自認する枝野氏は、弁護士出身らしく実務家として党を支えてきた。

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