世界のエリートが「美意識」を鍛える根本理由 質の高い意思決定を継続的に行う基盤とは?

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ストレッチした無茶な数値目標を与えて現場の尻を叩くことしか知らない経営陣に率いられている多くの日本企業においては、東芝による粉飾決算を皮切りに、三菱自動車による燃費データ偽装、電通による広告費の水増し請求など、大企業によるコンプライアンス違反が後を絶たない。なんら有効な経営戦略を打ち出せない経営陣が、現場に無茶な目標を突きつけて達成し続けることを求めた結果、やがてイカサマに手を染めざるを得なくなったということである。

哲学者のハンナ・アーレントは、アイヒマン裁判を傍聴した末に、『イエルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告』を発表し、悪とは「システムを無批判に受け入れることだ」と指摘した。そして、「陳腐」という言葉を用いて、この「システムを無批判に受け入れるという悪」は、我々の誰もが犯すことになってもおかしくないのだと警鐘を鳴らしている。

我々はこの不完全な世界というシステムに常に疑いの目を差し向け、より良い世界や社会の実現のために、何を変えるべきかを考えることが求められている。特に社会的な力を持っているエリートにこそそれが求められるのだが、他方、エリートというのは自分が所属しているシステムに最適化することで多くの便益を受け取っている存在であり、システムを改変するインセンティブを持たない。

そこでエリートに求められるのが、「真・善・美」の感覚、つまり「美意識」であり、クリステンセン流に言えば、「人生を評価する自分なりのモノサシ」なのである。

現在のエリートに求められている戦略

『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

つまり、「システムの内部にいて、これに最適化しながらも、システムそのものへの懐疑は失わない。そして、システムの有り様に対して発言力や影響力を発揮できるだけの権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、理想的な社会の実現に向けて、システムの改変を試みる。これが現在のエリートに求められている戦略であり、この戦略を実行するためには、「システムを懐疑的に批判するスキル」としての哲学が欠かせない」ということなのである。

オスカー・ワイルドは、裁判の中で相手方に 「どぶさらいめが」と罵られ、 次のように言い返している。「俺たちはみんなドブの中を這っている。しかし、そこから星を見上げている奴だっているんだ。」

本書は、組織に属するいわゆるエリートの方々に、是非読んで頂きたいと思う。組織に乗っかってうまく立ち回ることがエリートなのか、それともその中で歯を食いしばって星を見上げ続けることがエリートなのか。この問いをどう受け止めるか、それこそが正に各人の美意識の問題なのだと思う。 

堀内 勉 多摩大学社会的投資研究所教授・副所長、HONZ

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ほりうち つとむ / Tsutomu Horiuchi

外資系証券を経て大手不動産会社でCFOも務めた人物。自ら資本主義の教養学公開講座を主催するほど経済・ファイナンス分野に明るい一方で、科学や芸術分野にも精通し、読書のストライクゾーンは幅広い。

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