料理番組の歴史は、料理文化史そのものだ 長い「グルメブーム」は何をもたらしたか

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もちろん、番組の主役はシェフではなく「料理研究家」である。料理教室で教える料理研究家は戦前からいたが、全国的に知られるタレントと化すのは、「きょうの料理」以降である。

料理研究家は何を伝えようとしたか

番組創成期には、九州で料理教室を開き、55年に東京進出した江上トミ、外交官の妻としてアメリカなどに住んだ経験がある飯田深雪、料理学校や海軍で料理を学んだ土井勝、戦前は料理人だった田村魚菜などが代表的な料理研究家である。彼らは自らの料理教室で教える経験を活かして、生放送のテレビ番組を支えた。

パリの一流料理学校、ル・コルドン・ブルーで学んだ江上は西洋料理と日本の家庭料理を、飯田は外国料理を得意とした。土井は日本料理が専門だ。この時期に中国料理を教えたのが、戦前にピアノを学ぶため日本に留学し、日本に暮らすハルビンの貴族出身の王馬熙純である。

創成期から活躍し、中国の食材や調理法、食文化などを教えた。麻婆豆腐もギョウザも炒め物も、日本に定着した家庭の中華風料理を最初に幅広い層に教えたのは、王馬である。

昭和後期の1970~80年代になると、大正生まれの世代が活躍を始める。今も現役で活躍する代表が辰巳芳子、城戸崎愛、鈴木登紀子である。

そのなかでも、ル・コルドン・ブルーで学び、西洋料理から和食まで多彩なレパートリーとアイデアを持ち、わかりやすく伝える城戸崎の活躍が目立つ。例えば城戸崎が担当した1973〜74年の「料理入門」シリーズのタイトルは、1973年12月が「食べる人の身になって」、1974年1月が「下ごしらえで決まる味」、同年2月が「器具を上手に使う」である。

1980年代になると小林カツ代、90年代になると栗原はるみが活躍を始める。小林は家庭料理を研究するプロを自負し、従来の常識を覆す時短料理で名を馳せる。栗原はアレンジのおしゃれさを披露する。小林は仕事を持つ男女に支持され、栗原はグルメ時代を生きる同世代の主婦からファン層を広げた。時代を代表するふたりは、料理を簡単に作る方法を伝え、より充実した家庭生活を助ける料理を提案しようとした。大切なのは共に暮らす家族であり、その人たちに手作りの料理を提供することだ、とメッセージを送ったのである。

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