「ワタミ」の渡邉美樹が考える若手の働き方 成功するビジネスパーソンの共通点とは何か
「その旅から帰ってきたのが22歳の3月でした。その時に、2年後の『24歳の4月1日に社長になる』と、夢に日付を入れたのです」
そこからは起業に向けてまっしぐらに突き進むことになる。大学卒業後は経理会社に入社し、約半年間、ひたすら会計の知識を詰め込んだ。その後、運送会社の宅配ドライバーとして必死に働き、1年間で資本金300万円を稼ぎ出した。さらに半年間、外食産業での武者修行を経て、FCチェーンのオーナーとして会社を創業。いよいよ経営者としての道を歩き始めたのだ。
若手時代に「猛烈に働いた」経験
調理や仕入、立地など業界の仕組みは何も分からない。あまりにも無知だったと当時を振り返るが、その反面で業界を知らないことが強みにもなった。常識にとらわれず、純粋に「自分がお客さまだったら何を望むか」をとことん突き詰めていくことができたからだ。
渡邉氏の店では、接客は膝を突いて両手でおしぼりを手渡したり、吸い殻3本で灰皿を取り替えるなど、居酒屋らしかならぬ高級クラブ並みのサービスを提供。これが大いに受けた。わずか2店舗の運営で年収は1億円を突破。当時、全国に400店舗あったFCチェーンのなかで、常にトップクラスの売上を誇っていた。
「それでも全然満足できませんでしたね。当初から創業10年で店頭公開しようと決めていたので、もっと会社を大きくしていきたかった。当時としては10年で店頭公開など不可能だと思われていたので、誰もやったことのないことへのチャレンジに燃えていました」
「もっともっと」という思いに駆られて、寝る間も惜しんで働いた。開店前の午後3時から仕込みを始め、閉店後の掃除を終えるのは午前7時。創業当初は休みも満足に取れなかった。しかし振り返ってみれば、この頃の努力が自分の血肉になり、ビジネスパーソンとして確固たる基礎を身に付ける期間となったと言う。
「今は世の中的に、ワークライフバランスを重視しようという風潮がありますが、自分の成長のためにはどこかで必死に頑張る経験も必要だと思います。その時期は、オンオフなど関係なく全てを仕事に注ぐべきだというのが私の考え。それは決して、1日中お客さまのところに行って営業をしろというわけではありません。例えば休日にディズニーランドに行った時に、キャストのおもてなしが素晴らしいから自分も仕事に取り入れてみようと考えたりすること。こうして常に仕事のことを考える時期が、成長する上では不可欠だと思います」
とはいえ、長時間労働問題が取り沙汰される昨今。渡邉氏は「働き方改革」自体を否定するつもりは毛頭ない。