論理的には正しいように思えるのに、なぜか需給曲線の話はすんなり頭に入ってこなかったんです。当時は何がおかしいのかわからなかったのですが、大学生になっていろいろな分野の本を読んでいく中で、ある哲学者が「需給曲線には時間の観念が欠けている」と語っているのを見つけたときには、「なるほど!」と思いましたね。
要するにあのグラフは、フローを表現できていなくて、取引や選択が瞬間的に成立するということを暗黙の前提としているのです。こんなものをベースにした学問が、まともに成り立つはずがないとそのとき思いました。
今、日本人は「経済学」にウンザリしている!?
――ですが、アベノミクスが登場して以来、日本人は「経済学」に対して随分と関心を持つようになっていますよね。有識者がメディアなどに登場する機会も増えました。
確かにニュースなどで経済の話題が取り上げられる頻度が増えていますが、たとえばアベノミクスにしてみても、それぞれの識者によって態度や結論がバラバラですよね。ここまで意見がまとまっていないと、一般の人の間でもかえって経済学への不信感が高まっているのではないかと思います。
最近も、あの孫正義氏が師匠と仰いでいる有名な経営学者の方から、「世界一流の経済学者の説に対し、世界一流の経済学者の中からまったく反対の説が出るというのは、つくづく不思議ですね。貴兄のように現実の経済を見つめてこられた方の意見を、経済“学者”はもっともっと尊重してほしいものです」というメッセージをいただきました。この方はもともと理系出身なので、経済学の混沌とした現状がとても奇妙に映るのだと思います。
――それは面白いですね。確かに「どうしていつまでも論争しているの?」という実感は、一般の人々の中にもあるのではないでしょうか。
つまり経済学は、数学とか物理学と違って「科学」ではないんですよ。だからいつまで経っても、これだという定説が出てこない。
確かに金融工学などが典型ですが、経済学にも複雑な数式が登場します。ですが、これは経済学自身の怪しい出自を隠すための偽装でしかありません。前回の連載でも書きましたが、経済学のバックグラウンドには、プロテスタントの宗教観や道徳観があります。ですから私は、経済学を「社会科学」と呼ぶのも躊躇しますね。(中原氏の関連コラムはこちら→欧米が生んだ「インフレ経済学」の正体とは?)