私が好きな中国地方の子守歌に、「ねんねこしゃっしゃりませ、寝た子の可愛さ、起きて泣く子のつら憎さ」という歌詞があります。
この「つら憎さ」は、「泣いてもかわいい、泣き方までがかわいい」という、かわいくてたまらない愛情表現であることに、子どもを育てて気づきました。こんなにも無垢で無邪気でかわいく、そして無抵抗な赤ちゃんに暴力を振るうなど、鬼畜でなくて何でしょうか。あなたが言葉を尽くしてお願いして、直るレベルではありません。
暴力親にはいくつかのタイプがある
子どもに暴力を振るう親に見られるタイプは、事件になったものだけをみても、いくつかあります。まず仕事や夫婦その他の人間関係がうまくいかず、または金銭的苦労などの欲求不満でいつもイライラしている者が、いちばん弱い子どもに八つ当たりして、暴力で鬱憤を爆発させるタイプ。これは子どもへの愛情がある人にも起こり、原因となっている問題が解決しないかぎり、直りません。
次に生物学的には親になっても、それ以外では大人になれず、自分の生活のペースを乱す者には、ゼロ歳児の赤ちゃんにも我慢できず、絶えず瞬間的に暴力で解決しようとするタイプ。これは子どもへの愛情がほぼなく、子どもはますます不安定になる悪循環があります。エスカレートしていくのは、上記も同じです。
そして最後は、被虐待児が親になって、暴力以外の子どもとの接し方がわからないという世代間の負の連鎖とか、その他の心の病に起因するタイプ。これは専門家の治療を仰ぐなどの対策が必要です。
ほかにも原因はいろいろ考えられますが、ここでより問題なのは、その原因が何であれ、幸運にもその原因が解決する日が来るとしてもその日まで、暴力は続くということです。
多くの赤ちゃんが、泣いてなおかわいいと慈しまれてすくすく育つその時期に、親から暴力を振るわれる子が負う心の傷は根が深く、手をこまねいている時間はありません。
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