「82歳のライフシフター」が抱える希望と恐怖 3世代の実践者が語る「本音」とは

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島村:渡米したのは、1955年。エルビス・プレスリーが出始めた頃でね。私は大学2つ、音楽院1つを卒業して、映画に音楽、アメリカの迫力、すごさというものを実体験しました。帰国後は、1970年代から2008年まで、在日ノルウェー大使館で主席通訳・翻訳官として働き、ずっと英語漬け。

英語しかないし、英語が道具でもあった。そういう私の原体験と、仕事の歩みが、引退後もフリーランスの翻訳家・文筆家として活動することにつながっています。

みなさん「100年人生」と言いますが、私は82歳ですから、あと18年。基本は翻訳業ですが、自分が何を残し、どう日本に貢献するかを考えたい。特に、日本語と英語、そして持ちえた教養をかみ合わせて、日本文化を海外に伝えていくことをやっていきたいと思っています。

アメリカにいた頃、日本という国が、いかに知られていないかをしみじみ体験しましてね。フジヤマ、ゲイシャ程度で、広報活動が足りていないのです。古典落語の英訳、あとは物語やエッセーも書きたい。翻訳漬けでずっとやれなかった作曲もしてみたいですね。つねに社会とかかわっていたいと考えています。

素朴な質問「怖くなかったですか?」

3人が感じた「怖さ」とは?(撮影:今井康一)

秋好:皆さんありがとうございました。もう少し深く聞いてみたいと思います。24歳の山田さんは、大学を辞めての起業。周りが就職していくのに、自分だけ道を外れることは怖くありませんでしたか?

山田:間違いなく、怖かったです。ただ、「やりたい」という気持ちのほうが強烈だったんです。起業には、不安と恐怖がつきものですが、それを押してでも挑戦したなら、その時点で一歩成功に近づいていると思います。

僕の周りには似た考えの人が多くて、大学卒業して就職した友人でも「今の会社では絶対にやっていけない、フリーランスになりたい」と言って勉強していたりしますね。

秋好:一方、石水さんは大企業に就職された世代ですね。キャリアを捨ててフリーランスになることは、山田さんとはまた違った恐怖があったのでは?

石水:恐怖でした。私の場合、妻も子供もいますのでね。貯金はそんなになかったし、独立して何年も収入がないかもしれないという状況は許されない。ただ、このまま65歳まで働いて退職金をもらったとしても、年金はそんなにもらえません。じゃあどうやって食っていけばいいのか?

貯蓄って、自分が稼げないから必要なのであって、決まった額をきちんと稼ぎ続ける能力があるならば、それほど重要ではないと私は思うんです。であれば、自分は何ができるのか、何なら続けられるのか。やはり、企業の中での仕事より、自分が本当にやりたかったことのほうが、長く続けられるのではないかと考えました。

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